芦花
2024/07/27 14:15
芦花
2024/07/27 10:11
芦花
2024/05/25 18:20
芦花
2024/05/24 23:23
芦花
2024/05/14 14:10
芦花
2024/05/12 10:17
エドガルド・モルターラという映画を見た。
1858年に、当時6歳だったボローニャのユダヤ人街に住む少年が、教皇の名のもとにカトリックの教会に連れ去られてしまう。
理由は、生後六ヶ月のときに何者かが、彼に洗礼を授けていたことだった。
という話。事実らしい。
当時は、イタリア統一前で、ボローニャは教皇領だったため、言ってみれば王様の命令です。
でも彼自身はユダヤ人で、当然親もユダヤ教徒として過ごしてきた。
んだけど、洗礼は誰が行っても有効で、取り消しができないんだとか。
そして、当時の教皇法では、カトリック教徒を、非カトリック教徒が養育してはいけなかったらしい。
驚きの連続だった。
小さいエドガルドくんが本当にかわいそうで痛々しい。
……んだけどね、青年エドガルド君を演じた俳優さんがびっくりするほどうまかった。まだ20代らしいんだけど、彼が出てきてからガラリと変わる。印象が。
いや、本当にうまかった。
蟻の王という映画にも出てるっぽい。見よう。
1858年に、当時6歳だったボローニャのユダヤ人街に住む少年が、教皇の名のもとにカトリックの教会に連れ去られてしまう。
理由は、生後六ヶ月のときに何者かが、彼に洗礼を授けていたことだった。
という話。事実らしい。
当時は、イタリア統一前で、ボローニャは教皇領だったため、言ってみれば王様の命令です。
でも彼自身はユダヤ人で、当然親もユダヤ教徒として過ごしてきた。
んだけど、洗礼は誰が行っても有効で、取り消しができないんだとか。
そして、当時の教皇法では、カトリック教徒を、非カトリック教徒が養育してはいけなかったらしい。
驚きの連続だった。
小さいエドガルドくんが本当にかわいそうで痛々しい。
……んだけどね、青年エドガルド君を演じた俳優さんがびっくりするほどうまかった。まだ20代らしいんだけど、彼が出てきてからガラリと変わる。印象が。
いや、本当にうまかった。
蟻の王という映画にも出てるっぽい。見よう。
芦花
2024/05/11 06:46
芦花
2024/05/6 20:37
芦花
2024/05/5 12:09
芦花
2024/04/28 07:52
芦花
2024/04/20 11:39
オッペンハイマー
オッペンハイマー見に行ってきた。
よくも悪くも「アメリカ映画」だなという印象。
偏見かもしれないけど、アメリカ映画って「答えが用意された映画」という感覚。
「答え」を1つにしぼって、見る人の焦点が「そこ」に合うように誘導していくというか。
かつ、その焦点が「個人」として描かれることが多い。
タイトルも個人名になってることがわりとあるから、そういうのが「受ける」んだろうなって思った。
ヨーロッパ辺りの映画は、わりと群像劇が多いというか、見る人によって評価がだいぶ変わる映画が多いなって印象。
ただの印象です。
でも普通に考えて、あの規模の功罪を「個人」におとしこむのも無理ありすぎない?とは思った。
例え扇動したにせよ、呵責を覚えてるのがオッペンハイマー一人だけっていう捉え方もどうかなって。
そこはいろいろ端折ったにせよ。
彼は仕事をしただけなんだよなぁ。
話変わるけど、日本人としては言っちゃいけないかもしれないですがいう。
ロスアラモスを作る時に、友人が「物理学の300年の集大成が~」っていうくだりがあるじゃないですか。
あれナンセンスだなって思った。
「物理学の探求がこれか」って問われたら「そうだが?」としか言いようがない。
だってその先の「被害」はオッペンハイマーが責を問われることじゃないじゃない。
大統領も言ってたけど、道徳観や生命や被害者云々の功罪は政治の話であって、探求者が責められるいわれはないっていうか。
以前「Winny」っていう映画を見たんですが、それと同じかなって。
「ナイフで刺された人がいる。でも、そのナイフを作った人を罪に問えるのか?」っていうやつです。
案の定、本人への糾弾は、本編のテーマとは関係ない「赤狩り」や「私怨」で描かれてたから、見てる人は混乱する。私はした。
苦悩はわかるんだけどね。
でもその「苦悩」を顕在化させているのが「赤狩り」っていう全然つながらないテーマにすり替わっちゃったので、ストーリーとしてぼやけちゃった感があった。
オッペンハイマー見に行ってきた。
よくも悪くも「アメリカ映画」だなという印象。
偏見かもしれないけど、アメリカ映画って「答えが用意された映画」という感覚。
「答え」を1つにしぼって、見る人の焦点が「そこ」に合うように誘導していくというか。
かつ、その焦点が「個人」として描かれることが多い。
タイトルも個人名になってることがわりとあるから、そういうのが「受ける」んだろうなって思った。
ヨーロッパ辺りの映画は、わりと群像劇が多いというか、見る人によって評価がだいぶ変わる映画が多いなって印象。
ただの印象です。
でも普通に考えて、あの規模の功罪を「個人」におとしこむのも無理ありすぎない?とは思った。
例え扇動したにせよ、呵責を覚えてるのがオッペンハイマー一人だけっていう捉え方もどうかなって。
そこはいろいろ端折ったにせよ。
彼は仕事をしただけなんだよなぁ。
話変わるけど、日本人としては言っちゃいけないかもしれないですがいう。
ロスアラモスを作る時に、友人が「物理学の300年の集大成が~」っていうくだりがあるじゃないですか。
あれナンセンスだなって思った。
「物理学の探求がこれか」って問われたら「そうだが?」としか言いようがない。
だってその先の「被害」はオッペンハイマーが責を問われることじゃないじゃない。
大統領も言ってたけど、道徳観や生命や被害者云々の功罪は政治の話であって、探求者が責められるいわれはないっていうか。
以前「Winny」っていう映画を見たんですが、それと同じかなって。
「ナイフで刺された人がいる。でも、そのナイフを作った人を罪に問えるのか?」っていうやつです。
案の定、本人への糾弾は、本編のテーマとは関係ない「赤狩り」や「私怨」で描かれてたから、見てる人は混乱する。私はした。
苦悩はわかるんだけどね。
でもその「苦悩」を顕在化させているのが「赤狩り」っていう全然つながらないテーマにすり替わっちゃったので、ストーリーとしてぼやけちゃった感があった。
というか、もともとフランス映画は好きだ。
なんかこう、毒すらもうまい。
小気味が良いというか。