2023-10-17

緋色

 チリチリと音がします
 風に揺られてチリチリと

 あれは、葉擦れの音でしょう。

 サラサラと音がします
  風に散らされサラサラと

  あれは、
      花の涙でしょう――。

 

 

 

 風は既に熱気を失いつつあった。
 小川を通り抜ける風は適度な湿りを帯び、首筋に絡まりながら通り抜けていく。長く伸ばした髪に手をやり、その風を追いかけるようにゆっくりと梳くと、うなじにひんやりと冷気が宿って気持ちが良かった。

「あーもう秋ねー」
 風に膨らんだ制服の裾を直しながら空を見上げて呟く。見上げた空には小さな雲が連綿と帯を作り遥か頭上に棚引いている。いつの間にか空がぐんと遠くなったようだ。
 まだ日中はそれなりに気温は高いためあまり季節の移り変わりを感じることはないのだが、それでも夕刻になると以前とは比べものにならないほど肌寒くなった。いつの間にか逃げ水を追いかける回 数も減り、そう思ったときには目の前を赤トンボがすぅっと横切ったりする。
 時代が変わっても意外と自分の意識は変わらないものだ。
 くすっと独りごちてまだ風に身を任す。すると後ろから怪訝そうな声が響いた。
「なーに一人で にやついてやがんでぇ?」
「あ、聞こえてた?」
 声のした方を振り向くと、たっぷりとした緋い衣に身を纏った少年がこちらを見て、声と同じく怪訝そうな顔をしていた。その少年も長い髪を湛えおり、そよ風にサラサラとなびいている。だが自分の黒とは違い、彼のそれは銀色に輝いており風になびく度に細い髪が傾きかけた日の光にキラリと反射して美しかった。
「いや、涼しくなったわよねぇって思ってさ。なんかしみじみしちゃわない?」
「秋なんだから涼しいのは当たりめぇじゃねえか」
 馬鹿かコイツは、と呆れた顔でその少年は答える。
 そういう意味じゃなくってねぇ……。
 銀の髪に、金の瞳。
 生まれついてのものだろうが、そのコントラストは自然の力とは思えないほど見事だ。顔だってまあまあ整っているほうだろう。だが、一見この荒れ果てた時代には不似合いなほどの風雅なその外見とは裏腹に、このオトコは情緒というものがまるで無い。
「あのねぇ犬夜叉、この景色を見てもうちょっと何か感じないわけ?」
「無駄じゃ無駄じゃ、犬夜叉にそんなこと言うてもわかるわけないぞ、かごめ」
 雲母に乗った七宝がケラケラと笑いながら揶揄する。
「お前はわかるってのかよ?」
「当然じゃ、この空をみてなにも感じんとはよほど鈍いヤツだけじゃ」
 七宝はふふん、という顔をしながら得意げに胸を張る。
「ほぉーら、よく見るんじゃあの雲! さすが、サンマ雲とはよく言ったもんじゃぁ」
「……それを言うならいわしだろうがっ」
「さば雲とかむら雲とも言うんですよ」
 後ろから追いついた弥勒がそう補足する。その後ろでは珊瑚がくすくすと笑っていた。
「けっ! 全然ダメじゃねぇか」
 犬夜叉が呆れた顔で七宝を睨む。
「う、うるさいっ! それでもお主よりはマシじゃ!」
「なんだとっ!?」
「まあ、まあ……ふたりとも」
 うぬぬぬぬ、とにらみ合ったふたりの間にかごめが割って入る。このメンバーで旅をし始めて随分経つが、すっかり仲裁役が身についてしまった。
 同じ目的を持った仲間なんだからもうちょっとお互い譲歩しても良さそうなものだが、子供の七宝はともかくとしても犬夜叉はこういう時本当に大人気ない。
 さらに今年はの夏は思いのほか厳しかった。しぜん歩くのさえ億劫になるから、ここ数ヶ月の四魂の珠の情報は思ったよりも少ない。せっかく涼しくなったのだから、ここから気合を入れなければならないという時なのだが……、そんなことは全く頓着してないようだ。
 まったくもう、こんなにいい天気なのに。
 かごめはそのままふたりを放ってうーんと伸びをする。珊瑚も弥勒も地図を見ながらなにやら話し合っている。談笑まで聞こえてきて和やかな雰囲気だ。
 あーあ、あそこはいいなぁ。なんだかんだとイイカンジだもん。
 ちらりと犬夜叉の方を見てそっと溜息をつく。
 こんな爽やかな空気に晒されれば心が和んで珊瑚と弥勒のように何も言わなくても自然に寄り添えるような関係になるんじゃないかと……思うのだが、犬夜叉にそれを期待するだけ無駄だ。わかっていても、落胆は隠せない。
 はあ~、ともうひとつ溜息をついてぶらぶらと土手のほうに目をやると、いきなり緋い帯が視界を染めた。
 よく見るとそれは花だった。
 先ほどまで歩いてきた土手の先に、川のせせらぎに揺らされながら見事な緋い花々が群生している。
 その唐突ともいえる光景にしばし目を奪われた。

「おおっ! かごめ、凄いぞ満開じゃぁ」
 犬夜叉とワイワイ言いながら歩いてきた七宝もその花を見て声を上げる。
「うわー、ほんと彼岸花ね」
 秋の彼岸の頃に突如として咲き誇る花だ。
「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言うんですよ」
 弥勒もやって来て、かごめと七宝の背中越しにそう付け加える。
「まんじゅうっ!?」
「ま・ん・じゅ、です」
 目を輝かせて聞き返した七宝に弥勒が言い直させる。
「なんじゃつまらん、食えるかと思ったのに」
 あからさまに失望の顔をする七宝に、弥勒はいえいえ、と笑う。
「食べられますよ、元々この花は飢饉のおりに非常食として用いる花なんです。きっとこの付近の住民がもしもの時に植えたんでしょう」
「へー、初めて聞いた」
 かごめは改めて土手に咲く花々を見つめた。
 てっきりどこにでもある自生植物かと思っていたが、そうではないそうだ。野生で咲くのはもっと北の地方だけで、ここら辺で咲いているならばそれはやっぱり誰かが目的を持って植えたということらしい。
 かごめが育った東京にはこんな花が群生している場所などめっきり少なくなったが、幼い頃には日暮神社の脇にひっそりと咲いているのを見たことはある。綺麗だと思ったが、母に毒があるから触るなとしかられた記憶があった。
「あれ? でもこれって毒があるって言われたけど?」
 かごめが疑問を口にすると、珊瑚も頷いた。
「あたしの里でも『死人花』って言ってあんまり縁起の良い花には言われてなかったよ」
「ええ、そのまま食べると毒があるんですが、球根をすりつぶして水にさらすと食べられるようになるんです。地方によっては『仏花』とか言って敬遠するところもあるみたいですね。咲く時期がちょうど彼岸頃だからなのでしょうが」
 さすがは弥勒だ。かごめ達は素直に驚いた。
「しかし、なんだか辛気臭い花なんじゃのう」
 七宝は雲母の背に乗ったまま、自分の顔くらいはある花弁をぱしぱしと叩く。
「そうねー、綺麗なのにね」
「でも曼珠沙華というのは仏の教えに出てくる天の花のことで、縁起が良いとされている地方もあるんですよ。異国ではもっと違う名でも呼ばれますし」
「どんな?」

「――サンシチヨ」

 突然、後ろから思いもかけない声が響く。
 驚いて声のほうを見ると、犬夜叉がそっぽを向いたままそうひと言だけつぶやいた。
「……サンシチヨってんだ、その花」
 弥勒がへえ、と犬夜叉を不思議そうに見る。
「ああそうです、大陸のほうではそういいますが……よく知っていましたね、犬夜叉」
「家にたくさん生えてたからな」
 相変わらずそっぽを向きながらだが、その問いにぼそっと答える。
「家……? お前が生まれた家ですか?」
「……ああ」
 そうですか、と弥勒は何か納得した顔で頷くと、それ以上問いかけることはしなかった。
「なんじゃ? どういう意味なんじゃ?」
 わけのわからない七宝は、弥勒と犬夜叉を交互に見上げて説明を求める。だが、犬夜叉はそのまま無視してスタスタと土手を登ってしまった。
「なんじゃ、あいつ?」
 かごめと珊瑚も困ったようにお互いを見つめる。弥勒だけは変わらず花々を見続けていたが、やがて静かに説明しだした。
「サンシチヨ――、漢字では『想思花』と書くんです。花は葉に焦がれ、葉は花を慕い嘆く――そんな意味があるそうですよ、想思花には」
 彼岸花は秋口に突如として花を咲かせ、ほんの7日程度で花を枯らせる。その後、花が散り際を見届けていたかのように、葉が生える。つまり、花と葉は同じ茎を共有しながら決してお互いに出会うことは無いのだという。
 異国の人々は、この葉と花を哀れに思い、そして戦などで逢うこともままならない恋人たちに姿を重ねてこう呼ぶのだ。
『想思花』と――。
 ……犬夜叉……?
 振り返ると、弥勒と視線が合った。彼はにっこりと微笑みいってらっしゃい、と促してくれた。
「おい! かごめどこ行くんじゃぁ?」
「はいはい、いいからいいから」
「何がいいんじゃ、放せ弥勒っ! 」
 かごめの後を追いかけようとした七宝を弥勒がひょいと抱き上げる。足をバタバタさせながら七宝がわめくが、笑って取り合わない。
「やあ、何だかこうしていると夫婦とその子供が仲良く花見を楽しんでいるように見えますねぇ。ねえ、珊瑚?」
「何言ってんの法師さま……」
 珊瑚の頬が咄嗟に赤く染まる。
「えー? まあ良いじゃないですか、ここらでのんびりしましょうよ」
「……いいけどさ……」
「オラは良くないぞ! こら、放せというに、弥勒っ!」
 七宝の抵抗を無視して、弥勒はただ あはは と笑うだけだった。

 土手の上は小川からの風が流れて気持ちが良かった。
 なだらかな畦道が細くどこまでも続いている。畦道の向こうは水田が広がっており、豊かに実りを結んだ麦が穂を重そうにたれている。
 視線をぐるりとまわすと、少し行った先の大木に赤と銀のコントラストが見えた。
 根元まで小走りに近づくと、犬夜叉はこちらをチラリと見たようだったが何も言わずまた視線を元に戻した。
 ……何を想っているのだろう……?
「……なんでぇ?」
 脇まで来たもののなんと言っていいかわからずもじもじとしていると、犬夜叉のほうからぶっきらぼうに問いかけてきた。
「別にぃ、何でもないんだけどさ……弥勒様がちょっと休みましょうって……となり、いい?」
「……おう」
 相変わらずぶっきらぼうだが、それでもかごめが座ろうとしている場所の汚れを手で軽く払ってくれる。決してわかり易くは無いのだが、彼は彼なりにとても優しいのだ。そしてかごめにその優しさで接してくれている。
 こんな他愛も無いやりとりがくすぐったくって、とても嬉しかった。
「ん……、ありがと」
 短く礼を言うと、よいしょと腰を下ろす。そのまま犬夜叉がぼんやりと視線を投げている場所を一緒に見る。その視線の先にはやはり先ほどまでいた緋色の花の群れがあった。
 夏を追い払う風が、さわさわと流れて花を揺らした。
 チリチリと、茎全体で流されながらもその緋い花は短い命を懸命に生きているようだ。
「綺麗だね」
 なんともなし出た言葉だったが、犬夜叉は黙ったままだった。
「――あの花は嫌いだ」
 暫くしてから短くぼそりと答える。
「なんで?」
「―別に、意味なんかねぇけど……毒々しい色だろ、なんか」
 そう口にしていても、視線は変わらず緋い群れに注がれている。それは決してその言葉が本心ではないことを感じさせた。
 何か、思い出したくないことでも連想するのだろうか――?
 かごめは黙ったまま、同じように緋い花を見つめ続けた。
 ふと、先ほどの弥勒との会話を思い出す。

『家にたくさん――』

「想思花って……お母さんから教えてもらったの?」
 それは何となく浮かんだイメージだった。一度だけ見たことのある犬夜叉の母の顔と、あの緋い花が重なって見えたのだ。
 触れるか触れないかの距離ではっと息を呑む気配を感じる。
「……そうだな、お袋はそう呼んでたな」
「ふうん……そう……」
 おそらく、犬夜叉はこの花に母の姿を見るのだろう。
 幼い頃、母と共に住んでいた屋敷に父親が来たことは無いと聞いたことがある。それは自分の前で両親が揃ったことはないということだろう。妖怪と人間という種族の違いからして、その恋は口で言う以上に困難があったのではないだろうか。
 だが、彼の母は最期まで妖怪である父を想っていた―詳しく聞いたわけではないが、これまでの経緯でそれは何となく感じる。
 逢いたくても逢えない想い人――。
 彼の母はこの花を愛でながら、父への想いを囁いていたのかもしれない。
 想像でしかないが、その姿は何だか容易に頭に浮かんだ。そしてきっと、犬夜叉はその姿をずっと見続けていたのだろう……。
 先入観無しに見れば美しい花だ。
 けれども、やはりどこか悲しい印象を抱かせる花だとも思う。

 彼にとっては愛しく、そしてそれ以上に郷愁を呼び起こす花なのだろう。
 でも――。

「……毒々しくなんかないわ」
 だいぶ冷たくなった風に吹かれながらかごめはつぶやいた。
「あん?」
「毒々しくなんか無いわ、とても綺麗な色よ」
「……そうか?」
「うん、だってこの衣の色と同じだもの」
「え……?」
 この緋色の花を見ると、私はあなたを思い出す。
 この緋色の衣を思い出す。
 私にとっては、とてもとても大切な色――。
 すくっと立ち上がったかごめを不思議そうに見上げながら、意味を掴みかねて犬夜叉は戸惑いの表情を見せる。
「なんでぇ、どういう意味だよ?」
「わかんなければいいの。さ、皆のところに戻ろう? もう日が暮れちゃうよ」
「お、おいかごめ……?」
 慌てて後を追う彼の衣の裳裾がふわりと風に揺れる。それは傾いた夕陽に染まり、いっそうその色を際立たせて翻った。

 ――風が柔らかく吹き、斜陽を浴びた花々が彼の衣と同じ色を放ってチリリと揺れた。
 その音は、どこか夏に置き忘れられた風鈴の音色のようでもあり、またこれから実りを結んで鮮やかに燃える秋の気配そのもののようでもあった。
 その音はとても寂しげではあったけれども。
 しかしその姿は、傍らに光る小川の水面に照らされ、寂しさを抱きながらも誇らしく咲き誇っていた。

 緋い花――。
 哀しくて切なくて――それでも仲間と共にその寂しさを乗り越える優しい花たち。
 緋い、緋い花――。
  彼がこの花を見て優しい母を思い出すように、私は彼を思い出すだろう。

 そして、彼を想うだろう――。

 

 

end.

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