2023-09-28

紫煙価格 -しえんかかく-

 戦争やらなんやらで途中で断念したが、もともと大学では心理学を専攻していた。
 成績はそこそこ。
 医者になるほど勉強ができたわけじゃないが、人の反応を学ぶのが好きだった。こっちがこういう行動をするとあっちがどういう反応をするのかとか、そういうのが昔から妙に気になるんでそういう方面に進んだわけだ。
 おそらく生まれた村があまりに娯楽がなく、自分で何とかして娯楽を作ろうとしてたんだと思う。
 相手はオレのおどけた反応に思った通りに笑ったし、パン屋の軒先から商品を失敬して店のおやじに殴られそうになった時にちょっと泣いてひもじいと演技をすれば、簡単に許してもらえた。
 大人が小さな子供に簡単に騙される。ガキの頃にそれを覚えてしまったらもうダメだ。
 そっからはそんな感じで生きてきた。
 だから学校に行く前にある程度の世間は見えた。
 生まれつき馬鹿な奴は死ぬまで馬鹿で、でもなんだかんだと生きてける。世の中はちょっと抜け目がない奴がちょっといい思いをするってだけだ。
 決して斜に構えるわけじゃないが、結局人間なんてわりとそんなもんだ。
 なんて単純。
 とても明快。
 世界はいたってシンプルだ。
 オレに言わせりゃ、人間の悩みなんて煙草一本吸う時間以上かける意味なんてないね。

 男から出勤前に立ち寄ると電話連絡があったのは前日の晩だった。
「例の物が手に入ったから」と。
 そりゃよかった。あれだけは情報屋のオレでもそうそう入手できない。ちょうどストックが切れたところだった。すぐに補充出来て助かったと思って朝から待っていたら、持ってきた当の本人は朝からいささか疲れたような顔をしていた。
「聞きたいことがある」
 テーブルに帽子を置いてすぐにおもむろにそう言った。
 だが、その前にと男を制して「先に頼んだもんくれ」と伝えた。
 男は、ひとつだけため息をつくと、カバンの奥底から目当ての物を出す。
「今回は三箱だ。検閲が一段と厳しくなった。あと、やはりパッケージまでは無理だな」
 取り出したのは西国製の紙煙草だ。それが子どもが食べるようなブリキの飴の缶の中に直接入っている。この煙草が昔からお気に入りなのだが、東国ではまず売ってない。しかも検閲が厳しくて輸入も無理だった。そのため、WISEに協力する見返りに情報料とは別に定期的に取り寄せてもらっている。
「いいって。どうせ自分用だし」
 早速缶から煙草を一本取り出す。
「マッチある?」
「煙草止めたっていっただろ」
「そうだっけ」
 煙草屋に来ておいて何を言ってるんだとは思ったが、しょうがないので壁際の適当な工具箱の中に入っていたマッチを使った。工具箱の中には正規の工具のほかに、コードと、あと入れた覚えもないマッチが必ず二、三箱は入っている。
 マッチってのは増やした覚えもないのにどうしてこう、ちょっと探せばどこにでもあるんだろうか。この部屋だけでも二十箱はあるとみた。なのにいつも手元にはねーし、探してみればいつも同じものが出てきて同じものを使っている気がする。あれは未だに謎だ。
 箱の側焼と頭薬こすりつけると、シュッと独特な音を出してすぐ火が付いた。そのままぶらぶらと唇で遊ばせていた煙草の先にも火を乗せる。
 ぶんぶんと手を振って火を消してから、ゆっくりと煙を飲み込んでその味を堪能した。
 ……あー、うま。
「――もういいか?」
 その一連の動作を見ていた男が目を細めて少しだけ苛ついたように言った。
「あ、もう帰んの? お疲れさん」
 そう言って別れのつもりで手を上げると、「聞きたいことがあるっつっただろうが!」とテーブルをどんと叩かれた。
「……そうでした」
 が、聞きたいことがあるという台詞を吐くわりには「ここにわざわざ来て、こんな質問することこそ不愉快でたまらない」という顔を隠しもしていない。
 いや、隠せやそのくらい。
 そうは思ったが、娯楽の少ない昨今の社会情勢。正直この男が持ってくるこの煙草と、この男の家庭問題だけがここ最近のお気に入りだ。
 ……相変わらず女にはモテねーから時間もあるし。
「あ? なに、仕事の話〜? 代金払ってからにしてくんない?」
 そうわざと揶揄うように言って、相手を焚きつけてその尻馬に乗ってやろうとしたが、男は深いため息をついて、ただただ困っている心情を吐露した。
「いや、仕事に関することじゃない。私生活で、悩んでいる事があってだな。客観的意見が欲しい。その、…………オレは、別に、可愛くはないよな?」
「……………………はい?」
 ――いや、正直ここ最近のおまえはめっちゃ可愛いけど? 馬鹿すぎて。
 思わずそう即答しそうになったが、慌てて飲み込んで、質問形式に変えた。
「『お前のこと、どこをどう見たら、可愛く見えるよ?』」
「そう、……だよな?」
 男は自分でもそう思うのだが……と少しだけ安心したように頷く。
「『当たり前だろ、こんな背が高くて筋肉ムキムキの男の、どこが『可愛い』だよ! 鏡見て出直せ!』」
 取り敢えず即興で相手が欲しいであろう言葉をつらつらと言ってやる。
 おそらく家庭内でなんかあったとみた。まだよくわからないが、まずは相手を安心させてやらないことには情報は引き出せない。
「オレはお前の味方だよ」、そういう態度が情報を抜く際には一番てっとり早い。
 対面している男もそのテクニックは重々承知しているはずなのだが、どうも彼はこと「自分自身で選んだ家族」の問題に対してはその生来の能力の一パーセントも出せてないように思う。面白いから言わねーけど。
「あ、ああ。悪いな。助かった」
「つーか何でそんな事聞くわけ?」
「その、最近ヨルさんがオレに対して頻繁に言うんだ。『ロイドさん、可愛いです!』って」
「……へー……」

 よくわかってるじゃん。
 正直な感想を声には乗せず、煙と一緒に天井へ吐き出す。

 ヨルさんってのは、この男が自分で選んだ女房だ。
 どうしても妻が必要な場面で偶然出会って、利害が一致して偽装夫婦になった。
 よしゃいいのに、使い勝手がいいからそのまま据え置くみたいな勝手なことを言ってたが、案の定ミイラ取りがミイラになった。
 要するに、この男の方が彼女に惚れた。
 正直彼女のどこがいいのかさっぱりわからないが、おそらく本人もわかってない。
 何しろ当の本人に全く自覚がねーからだ。
 そして、惚れてるわりには彼女の「人となり」を掴みきれずにいつも胃痛と頭痛を抱えている。
 まあ同時期に手に入れた娘のほうも相当アレがアレなので、相乗効果が著しいんだろう。
 オレに言わせると、こいつの女房は動物に近い。
 道徳心がないとか、社会性がないというわけではなく、なんというか、おそらく「生きていく上で外しちゃいけこと」は絶対外さないタイプってやつだ。
 しかもそれを頭ではなく本能で分かっているタイプ。
 要するにこの男とは真逆ってことだ。
 おそらくそういった根源的なところで惹かれるところがあったんだろうが、何しろ彼女の行動が突飛すぎてまだ自覚より警戒のほうが勝っているってところだろう。
 だがまあ、

「Every Jack has his Jill. (どんな男性にも似合いの女性がいる)」
「Jeder Topf findet seinen Deckel(どんな鍋でも、かっちりのフタがある)」
「破磨配瘸驴(壊れた磨り臼が足の不自由なろ馬には似合いだ)」
「割れ鍋に綴じ蓋」

 世界中に全く同じ意味の諺が自然発生したように、男女の仲なんておそらくそういうことなんだろう。いずれは収まるところに収まると思うのでそんな心配はしてない。
 ちなみに、オレはまだ蓋が見つかってねーだけだ。
「可愛いって言われているの? おまえが?」
 ふーっと男の反対側の方向に煙を細く出しながら、再度同じ質問をする。
「そう……なぜかしきりに言われる」
「へー……じゃあヨルさんにはそう見えるんじゃん?」
 自分もそう思っていることはおくびにも出さずにそう言ってやると、男はますます困惑したような顔になる。
 その顔は決して不快そうではない。
 だが、いかんせんこの男の仕事が仕事だ。きっと自分へのハニートラップだかなんだかかもしれないと警戒しだすんじゃねーだろうか。
「ハニートラップか、秘密警察の弟に何か言われたのかとかいろいろ考えたんだが……」
 ほら、きた。
「ねーよ」
「なぜそう言いきれる?」
「あの女がそんな頭がいいわけがねーからだよ」と言ってやりたいが、それを言うと角が立つので「おまえも散々調べたんだろ」とだけにしておいた。
「そうだが、『可愛い』と言われる所以がわからない」
「いやー、あんま深い意味もねーんじゃねぇの? 女って挨拶みたいに『可愛い』って連呼するじゃん」
 先日カフェでランチをしていたら、そばに座った女たちが「可愛い」だけで会話をしていた。ちょっとしたホラーだった。ヨルさんはそんなタイプではないと思うが、だからといってこいつの想像の範疇の人物でもない。
 だから結果は一緒だ。
「いいじゃん別に。褒められたって事実だけ残しておけば。おまえだって女房から『金髪ブタ野郎』とか言われたいわけじゃねーんだろ?」
「なんだそりゃ」
「いや、こっちの話」
 そう濁して再度煙を吐く。そこでちょうど煙草が一本終わったので、手近な缶にキュッと残った吸い殻を押し付けて火を消した。
「うん、いやまあ……そうなんだが……」
 なおも釈然とせずに考え込む男を尻目に、ふーっと煙でなくため息を吐いた。
「てか、煙草終わったんですけど。オレ昔言ったよな? ひとつの議題にかける時間は煙草一本分て決めてるって」
 続けるなら料金とるよ? というと、男も片方の眉だけ上げて、「もういい」と言って立った。
「そうそう。悩みなんて時間かけてもいいことないって。煙草一本かけて解決しないなら今は横に置いときな。そのうち嫌でも解決するか、いつの間にか問題自体が煙と一緒にどっかいってる」
「……ご高説どうも」
 男は心にもないことを言って、帽子をかぶる。そこでふと、こちらに向き直った。
「ところで、おまえなんで西国の煙草しか吸わないんだ?」
 東国で煙草屋やってるのに、と今更な質問をする。
「あー、ただの験担ぎ」
「西国の煙草が?」
「知らない? この銘柄吸うといいことあるんだ」
「初めて聞いたな。東国ではそうなのか?」
「いや、知らね」
「なんだそりゃ」
 眉を思い切り寄せたが、特にそれ以上追及もせずに男は帰っていった。
 考えても仕方ないことは考えない。もう実践することにしたらしい。
「はい、おりこーさん」
 口先だけでそう笑うと、二本目の煙草に火を付けた。
 あまり数がないので、吸うのは三日に一回と決めているが、手に入った日だけは二本吸うと決めている。持ってくるのがいつも決まった男で、その男はオレが一本吸う間だけなんだかんだといるからだ。
 初めて会った時から、なんとなく続いている習慣だった。

 ――西国との紛争で前線に送られた時に、あまりにも馬鹿馬鹿しくて脱走した。
 人類が有史以前から連綿と続く諍いの歴史。
 それはいい。
 教科書にも載ってることだし、そういうこともあるんだろうさってのはわかってた。
 だが、自分が狩り出されるとなると話は別だ。
 どっかの外国じゃそろそろ月にまで行くってのに、地上では同じ人間が未だに地べたを求めて諍いを繰り返す。
 しかもそれが同じ民族同士で、ときた。
 偉い奴らってのは本当に頭が悪い。自ら自然淘汰に手を貸してるってわかってない。
 偉くなって上にいきゃ見張らしもよくなるもんかと思っていたが、上にいきすぎて自分が宙に浮いてるもんだと思ってやがる。

 周りの奴らは盲目的に闘ってる。
 何も考えず、何も見ず、何の罪の意識もなく、何の呵責もなく。
 従順を
 盲目を
 進軍を
 報復を
 裁きを
 勝利を
 我らに
 我らに
 ……吐き気がした。
 だから、逃げた。

 だけど、頭が悪いのはオレも一緒で、着の身着のまま逃げたので二日間山中をさ迷って万策つきた。
 あー、死ぬわこりゃ、と思った時にひとりの敵兵に襲われた。
 逃げようにも体力も限界、武器もないしこりゃいよいよ駄目かと思ったが、自分の中の生汚い何かがそれでも叫んだ。
「わあ~! たんまたんま! やめて撃たないで~~!! 女と付き合ったこともなく死にたくないよ~~!」と。
 そしたら、その意味のない懇願に男は銃をかかえたままポカンとした顔をして、あろうことか次に吹き出した。
 「煙草なら、やる」
 ――そう言って銃をおろして。

 びっくりした。
 この前線で、いや、この紛争の中で初めて会った「意志のある」人間だった。

 そいつは、まだ少年兵から青年兵になりかけくらい年齢の奴だった。
 盲目的に東国を憎み、東国兵を憎み、怒りにと憎しみに任せて銃を取ったんだろうというのは容易に見て取れた。オレが煙草を吸っている間、銃口はずっとこちらを向けていたからだ。
 けれど、こっちもまあ、おそらくこのままこいつに連れられて西国の捕虜になって収容所の床で拷問されて死ぬか、強制労働先で死ぬか、運よく逃げられたとしてもこの山中で野垂れ死ぬだけだと思ったらいっそどうでもよくなった。
 人間はどう足掻いても道がそれしかないってわかったら、わりと落ち着けるもんなんだってその時初めて知った。
 だから、そいつとはもらった煙草を吸っている間、少しだけ話をした。
 ほとんどオレが勝手に話していただけだったが、その男は黙って聞いていた。
 徴兵されるまでいた大学での講義とか、先入観が与える印象操作の恐ろしさのこととか、そういう、自分の興味があることを話した。
 何故そんなことを話しのかはわからない。
 暇だった。
 それもある。
 けれど、おそらくは、相手の男が――。
 ……彼が、銃口を向けながら、こちらを憎みながら、それでもなお。
 なお、必死になって自分の頭で考えていたからだ。

 自分が何に銃口を向けているのか、
 自分が誰を殺しているのか、
 自分が何をしているのか、
 自分が何をさせられているのか、
 自分が何に踊らされているか、
 自分が何を憎んでいるのか、
 自分が何を憎まされているのか、
 そこに自分の意志はあるのか、
 自分の意志はどこにあるのか。

 そういうのを必死に、必死に。
 こんな死線に身を置いていても、それでもずっと考えてたからだ。
 オレも伊達に心理学をかじっちゃいない。
 男の目を見ればそれがわかった。

 だから、オレが死んでもこの男が受け取ってくれるなら別にいいかと。
 受け取って、それを自分の物にして、それをまた誰かに渡してくれるなら、価値はある。
 それさえ渡せられるなら、オレの人生もそう悪くなかった。
 ――そう、思えた。

 ただ、まあさすがのオレというべきか、そのあと運よく近くで狙撃が始まってそれに乗じてとんずらできた。さらに運よくわりとすぐ休戦条約が結ばれて一応停戦ってことになってみんな引き揚げたので、その混乱に乗じてオレもしれっと復員できた。
 戦地から戻れは、どうにかして食ってかなきゃならない。
 大学は燃えちまってるし、そもそも復学できるような金もないってんで、何か商売するかと思ったときに、あの煙草の味を思い出してあれをなんとかもう一回吸いたいと思って煙草屋を始めた。
 けどそれだけじゃ食ってけないので、得意の情報網を駆使してちょいちょい小金を貯めてたら、西側の連中に目をつけられた。
 東の奴らの網はちゃんとすり抜けてたのにぬかったわ。
 拉致された西側の施設で「協力を」と言われて、はいそうですかってのも芸がないと思ったが、まあ悪くない金額掲示と、あと当たり前だがはいと言わないと生きて帰れないので仕方なく承知した。

「ねー、煙草くれない?」
 やりますって言ってんのに、何もない取調室みたいな部屋からなかなか放してくれない。
 やることもないので相対していた年かさの女にそう聞くと、その女は少しこちらをみて「私は吸わないが」と言いながら外で見張りをしていた男に煙草はあるかと声をかけた。
 まだ若い、背の高い男だった。
 部屋の戸口から少しだけ顔を出して、「自前のでよければ……」と答えた男は、こちらを見てひどく驚いた顔をした。
 自分も同じだったと思う。
「おまえ……生きてたのか……」
 男はそう言ってから、少しだけ黙って、それからこちらに歩いてきて煙草を一本差し出した。
 それは、あの時と同じ、オレがずっともう一度吸いたいと思っていた煙草だった。
 
「箱ごとくれない?」
「ふざけんな図々しい」
 そう言った男の目は、煙草一本の時間しか邂逅しなかった相手に向けるにしちゃ上出来だった――。

 まー、それから何だかんだで、腐れ縁が続いてるわけだ。
 だからといって奴と友情を分かち合うとか、親しく付き合うとかそういうのでは決してないし、馴れ合う気も一切ない。態度は尊大だし、人使いは荒いし、金払いは悪いわでこっちとしては最悪な客だが、唯一西国の煙草を調達してくれるので重宝している。
 ……奴が組織を通さず、自力で手に入れてるのも知ってる。

 だからオレと奴の関係なんて、この煙草一本分の時間くらいでちょうどいい。
 そのくらいの価値と時間でお互いチャラだ。

 大きく息を吸い込むと、煙草の先端が赤く灯る。
 そのままふーっと息と煙を吐き出すと、目の前でゆらゆらとした紫煙しえんがゆっくりと天井に昇って消えた。

 

 はー…………、うま。

 

 

 

 

 

end.

 


[あとがき]
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 楽しかったです。

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