あの日もこんなふうだった。
彼女と初めて会ったのは。
ここ最近で急に背が伸びたアーニャの服を買い足しに、いつものブティックに来ていた。
何年経ってもここはあまり変わらない。
女主人も手慣れたもので、相変わらずごちゃごちゃ何か言うアーニャを手の平で転がしながら採寸をし、ヨルさんがそれを見て微笑んでいる。
「それにしても、早いわねえ。あなた達ここで出逢って結婚してもう何年?」
女主人がアーニャの肩にメジャーを当てながら世間話をしてくる。
「……どうでしょう。あまり覚えていませんが」
あまり迂闊にその辺りの数字は言えない。
なにせ、婚姻期間は一年誤魔化したままなのだ。
ヨルさんといささか気まずそうに目を合わせた。
女主人は答えを聞く気も無いのか、気にせずどんどん話題を変えていく。
「でもねえ、うちの店で出逢ってご結婚された方たちが何年経ってもこうしていらして頂けるのは嬉しいものですよ。私、他のお客様にも自慢してしまいますもの。ほら、あれ……なんだったかしら、お芝居だかなんだかで、ありましたでしょ? ぴったりなタイトルが……あら、出てこない――」
「『仕立て屋の恋』」
「ああ、そうそう! それですわ」
「そんなタイトルのお話があるのですね」
「ね、正にでしょう? 本当におふたりにぴったりだわ」
女主人は嬉しそうににこにこと笑顔でこちらに同意を求める。それにヨルさんがステキですねと相槌をうった。
いや……あれは仕立て屋「が」恋する話だ。
しかもぴったりとは……いささか訂正したい衝動が湧き上がったが、不粋なのでやめにしておいた。
おそらく女主人もさしたる興味はないだろう。ストーリーにも――われわれの人生にも。
彼女はもうすでアーニャにスカートの長さをどうするか聞きながら仕事に戻っている。
カウンターに手を付きながらチラリと妻に視線を送ると、すかさず「どうかしました?」と聞いてくる。
相変わらずうちの妻は気配を察するのが早い。
「……さっきのタイトルの話、あれ、ハッピーエンドじゃないんです」
「そうなのですか?」
「ええ。真逆です」
あれは悲恋の話だ。しかもジャンルはミステリーだったはずだ。
仕立て屋を営む偏屈で孤独な男性主人公が、向かいのアパルトマンに住む女性に恋をする。女性には恋人がいるが、彼女は恋人に暴力を振るわれている。その恋人が死んで――というような内容だったと記憶している。ここの主人が連想しているような甘ったるい内容ではなかった。ヨルさんが鵜呑みにしてあとでがっかりしても可哀想だ。
そう思って伝えると、ヨルさんはそうですか、と少し考えてこちらを向いた。
「ハッピーエンドかそうでないかは、誰が決めたのですか? 主人公の方ですか?」
「え……?」
そんな風に言われて、こちらも少し考える。
なんだろう……客観?
主人公が孤独だから?
恋が成就しないから?
主人公が恋した人に裏切られるから?
主人公が……。
あまりそんな風に考えたこともなかった。
物語は物語だ。
率直にそう告げた。
「では、主人公さんは幸せだったかもしれませんね」
彼女は少しうつむいて考えながらそう零した。ひとりごとのように。
「なぜ?」
「え?」
「なぜ、そう思うんです?」
その問いに、彼女は少し困ったような、それでいて大切な何かを取り出すような表情になる。
「――それが嘘でも……たとえ、騙されていたとしても……それでも、嫌いになれないってこと……ありますでしょう?」
ありましたでしょう?
彼女はまっすぐこちらを見て、やけに自信ありげにそう言った。
「ああ。なるほど……」
それ以上は口にするのは控えた。
見る人によって真実などいくらでもある。
たとえ、恋が成就しなくても。
たとえ、それを手にすることがかなわなくとも。
自分はそのことをいやというほど知っているはずなのに。
……彼女にも、いやというほど指摘されたはずなのに……。
まったく、まだまだこの職業病は直らないな。
そう、ひとりごちて、そっと内省した。
誰に「歪な関係」と咎められたとしても、それでいいのだと。
あの時ふたりで決めたはずだ。
最初はそこに契約しかなかろうとも。
手にした、かけがいのない日々が偽りであるはずがなく。
幸せかそうでないかは、当人たちが決めればいい。
そこに第三者の主観は必要ない。
――彼女とだけで分け合えればいい。
そう思えるほどには、年数と経験を重ねていた。
けれど、まだまだ。
まだ――これからだ。
「……では、うちのハッピーエンドはまだ遠そうですね」
「はい、それはどちらかが死ぬときに決めましょう」
仕立て屋で恋した人は、そう言ってにっこりと笑った。
end.
[参考]「仕立て屋の恋」
(ジョルジュ・シムノン著 1933年フランス)
同名の映画もあります。映画をもとにしています。
[お題]ロイヨルさんには「あの日もこんなふうだった」で始まり、「ハッピーエンドはまだ遠そうだ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字程度)でお願いします。
[引用元]https://t.co/shzR1sLlG0







※コメントは最大500文字、5回まで送信できます