駐車場に入ってすぐに、秘密警察の車が停まっていることに気がついた。
目立つ制服を着た男がひとり、傘をさしながら煙草をくわえている。遠目だが、こちらをしっかり観察しているようだった。
通り過ぎざま、車窓から男の顔を捉え、その覚えのある顔に更に疑念が増した。
ユーリ・ブライアの上司の男だ。一度、彼に変装したことがある。
案の定、運転席にいたのもユーリ・ブライアだった。
驚いたが、顔には出さずに通り過ぎる。
そして、秘密警察の車からかなり遠い場所、それでいて葬儀会場の入り口には行きやすい場所を見つけて車を停めた。
今日はあくまで「妻の知人の葬儀に一緒に参列する夫」の役だ。それらしく振る舞わねば。とはいえ、あんなに目立つ連中を無視するのも「一般市民」としては不自然だ。なるべく「それなり」の距離を保たねば。
ヨルさんも秘密警察には気がついたようで、はっと息をのんだのが目の端に映った。だが、弟には気がつかなかったようだ。彼のほうが一瞬早く運転席から消えていた。
「あの方も参列されるのでしょうか」
不安そうにつぶやく。
「さあ……あ、ちょっと待って」
先に車をおりて助手席に回り、助手席のドアを開けて傘を差し出した。
「ありがとうございます。ごめんなさい、ロイドさんが濡れてしまいますね」
ヨルさんは礼を言いながら車から降りた。
「ちちー、アーニャもー」
「ちょっと待ってろ」
アーニャが後部座席のドアを勝手に開けて外に出ようとしたため、傘をヨルさんに預けて慌てて抱きかかえた。
雨足が激しさを増していた。
ここ数日、雨が降ったりやんだりと安定しない。
葬儀が行われている施設はすぐそこだが、こう水はけが悪くてはアーニャの靴がずぶ濡れになってしまう。
ヨルさんが傘を差し翳してくれたので、三人でひとつの傘に入って施設まで走った。
施設の入り口の前はポーチになっていて、三段ほどの階段になっている。そこも雨で階段の上から雨水が勢いよく落ちてきている。滑らないようにアーニャを支えている手に力を込めると、アーニャが肩越しに「あ」と声をあげた。
「どうした?」
ユーリ・ブライアに気がついただろうか。ユーリはこちらに気がついて姿を隠していたし、かなり距離もあるので気づかないと思ったが。
「……んーん、なんでもない。おりる」
「なかに入ったらな」
建物の中に入ってから、アーニャを降ろしてさりげなく外を見ると、先ほどの上官らしき男が運転席へ向かって何やら話していた。
このまま帰ってくれれば良いが。
祈るように扉を閉めて、ヨルさんの視界からふたりを消した。
図らずもユーリ・ブライアに手を貸すことになってしまったが仕方がない。今の状況でヨルさんとユーリ・ブライアが鉢合わせするのはいくらなんでもまずい。
しかしユーリ・ブライアが、いや、秘密警察がなぜこの場所にいるのだろうか。
エリカ・ムスターマンの葬儀会場に。
あの夜の衝撃的な中継から一週間以上が経っていた。
あの夜から一夜明けて載った事件の記事は、受けた衝撃とは不釣り合いなくらい小さかった。
――イーデン地区でまたも火災。一棟が全焼するも、周りの住宅への延焼はなし。
記事には、あの時覚えた衝撃が大げさだとでも言わんばかりの感情のない文字だけが並んでいた。
いや、もしかしたら本当に過敏だったのかもしれない。
「アーニャさん、濡れませんでしたか?」
「だいじょーぶ」
アーニャの目線まで腰を落としながら甲斐甲斐しく世話を焼くヨルさんは、いつもと変わりない。
ユーリがいたことには気がついていないようだ。
そして、友人が亡くなったことからも既に立ち直っているように見えた。
ヨルさんは、翌朝には冷静さを取り戻していた。
映像を見た直後はかなり動揺しているようだったため、いつもと変わらず出勤するというので少し驚いた。
しばらく彼女のケアをしようとあれこれ考えていたが杞憂だったようだ。
けれどショックがあとから来ることもある。
人の心は自身が思っているよりは脆い。そして鈍感だ。
誰からも、ともすると、自分ですら気が付いていないこともある。
そしてふいに自覚するのだ。
――自分がもう……どうしようもないくらいに腐っていることに。
「…………」
もう一度ふたりに目を向けると、身だしなみを整え終えたアーニャが、先の部屋をのぞき込もうとしていた。
「アーニャ」
アーニャは葬式に参列すること自体が初めてだと言っていた。年齢的にそうだろう。
本来は家族で参列する必要もないのかもしれない。アーニャも最初は連れてくる予定はなかった。
だが、ヨルさんが葬儀に参列すると言ったため、念のため自分も行ったほうがいいだろうと判断した。
彼女のケアを優先したかったのはもちろんだが、会ったその夜にあんなことになったのだ。気にならないといったら嘘になる。
ヨルさんは最初は驚いていたが、やはりどこかホッとした表情をした。申し出て良かったと思った。
ただ、そこから肝心の葬儀の日がなかなか決まらなかった。
火事のため、色々捜査があるらしいというのは理解できたが、決まったのが一昨日の夜のことだ。
おかげでアーニャの預け先がどうしても見つからず、仕方なく学校を休ませて一緒に連れてきた。
「アーニャ、勝手に行くな」
「うい」
アーニャは調子の良い返事をしながら、こちらに駆け寄って足元でくるくると回った。初めて来たところでいくぶんはしゃいでいるらしい。
「ほら傘しまうから騒ぐな」
「アーニャがやるー」
アーニャは畳んだ傘を持つと、スキップで傘立てまで駆け寄っていそいそとしまう。
とても死者を悼むような態度ではない。
ったく。
何もなければ良いが。
ため息をつきながら、改めて部屋の中を観察した。
入り口から入ってすぐの、そう広くない場所だ。
エントランスともいえなくもないが、そう呼ぶにはいささか狭い。
三人でいっぱいになるような場所だ。
シンボルは掲げられていないようだが、建物の構造自体は小規模な教会にそっくりだ。おそらく昔はそうだったのだろう とすれば、この場所はエントランスではなく、この奥の部屋の前室といったほうが正しい。
東国は国教を定めていない。宗教の自由が保障されているといえば聞こえが良いが、実際は「信仰より党」という無言の圧力だ。ただ、伝統的にカトリックが多いため、とくに何も指定がなければ、葬儀は教会か、それに準じた場所で行われることが多い。
ヨルさんがいるすぐ奥には、もう次の扉がある。今はその扉は、半分だけ開けられていて、内部が見渡せようになっていた。
扉の奥には真っ直ぐな身廊と呼ばれる通路が延びている。どうやらバシリカ式の建物らしい。
バシリカとは、古代ローマに端を発する、いわゆる長方形の建物の総称だ。キリスト教が普及するに従い、教会建築に多く採用されるようになった。基本的には長方形の短辺に入り口があり、まっすぐ進んだ正面に内陣(チャンセル)があり、更にその先に祭壇がある。
この建物には、内陣の辺りに翼廊と呼ばれる横に伸びた部分もあった。建物自体が俯瞰で見ると十字のシンボルの形をしているのだろう。
ただ、その翼廊の部分は扉になっていた。司祭たちの控え室なのだろう。そういった用途も多い。
今はその扉はぴったりと閉まっている。
身廊の両脇には数人が一度に座れるような横に長い椅子が数列設置されていて、既に献花を終えたらしい何人かがまばらに座っていた。
身廊の先にある翼廊の辺りに、まったく同じ棺がふたつ据えられていた。
エリカ・ムスターマンと、母親の棺だ。
「ちち、なかくらい」
アーニャが興味深そうに、扉から中をのぞき込む。
「先に行くなよ。ヨルさんが一番最初だ」
「なんで?」
「ヨルさんの友達の葬儀だからだ。言ったろ」
「そうなの?」
「え? ええ……たぶん」
ヨルさんは曖昧な言い方をしながら、扉の先へと進んだ。
アーニャの手を握ってやりながら、そのあとに続く。
部屋のなかは暗かった。
天井が高いせいで、光の届く範囲はぐっと狭い。窓もあるが、すべてがステンドグラスの嵌め込み式になっているし、この雨だ。祭壇前まではせいぜい三十メートルだが、場所も相まって、なかの様子は手に取るように、とは行かなかった。
ビューイングの形をとってはいるが、司祭の姿は無い。音楽も流れていなかった。
西国も東国も葬儀の方法はそう変わらないが、さすがにまったく何も無いのは初めてだ。
ヨルさんも勝手が分からないらしく立ち止まって戸惑っている。構わず進んで良いと伝えようとしたとき、棺の脇に控えていた葬儀社と思わしきスタッフも目で促してくれた。
ヨルさんはいく分緊張した様子で身廊へと進んだ。
「しずか」
「しっ」
そわそわするアーニャを制しながら身廊を進むが、棺のだいぶ手前でアーニャの足がぴたりと止まった。
ヨルさんは先へと進んでいく。
「アーニャ」
「…………」
小声でアーニャを促すが、場に圧倒されたのか、おびえるように足にすがりついて動こうとしない。
スタッフが気を利かせてくれて、その場まで百合の花を持ってきてくれた。棺の前だけではなく、側廊にも献花台があるという。仕方なくそちらの献花台へアーニャを促して花を手向けた。
振り返ると、ヨルさんが花を手向けている。
視線の先の棺の蓋は閉まっていた。
火災で亡くなったのだから無理は無いが、写真すら無い。棺の頭頂部の辺りに、花に埋もれるように簡素なネームプレートらしきものが置かれているだけだ。
この距離では、さすがにどちらがどちらなのかは分からなかった。
自分たちの他には、いくつかのグループがまばらに座っている。全員既に献花を終えているのか、誰も動く様子はない。
埋葬までいる予定なので、適当に後ろに席を取るかと内部を見渡す。すると、通路近くに座っていた女性たちが目に入った。
「――初めて来たわよ。共同墓地なんて」
女性は三人いた。身なりの良い、裕福そうな婦人達だ。ひとりは前席、あと二人は後ろの席に座っている。そのうちのひとりが、他の二人に向かって何やらひそひそと話し始めた。
「そうよねぇ、いくら急なことっていったって……。アデリナさんのところ、そんなに困窮してらしたの?」
本人は小さく話しているつもりだろうが、こちらにもしっかり聞こえた。
アデリナとは、エリカ・ムスターマンの母親の名だ。彼女は、前にある棺のどちらかに入っている。
どうやら婦人たちは、ムスターマン家の近所の住民らしい。
裕福そうな身なりはさすがはイーデン地区住まいといったところか。そして、全員が噂好きそうな顔だ。
「さあ……」と言いながら、また顔をつきあわせる女達の側で、妻を待っている所在なさげな夫を演じつつ、耳をそばだてた。
「もう長いこと直接お会いしてないもの。あなたお付き合いあった?」
「全然よ。ずっと引きこもってらしたんじゃない?」
「そうよね。娘さんは何度か見たことあるけど」
「だけど、あの娘さんにしたって、挨拶もしなかったわよ」
「そうそう。たまに声かけてもツンとしてね」
「あらそうなの? もっと小さいときは、おどおどしてた印象だったけど」
「変わったんじゃない? だって、お嬢さんって言ったってもう三十近かったでしょ」
「結婚してなかったの?」
「じゃない? アデリナさんとずっと一緒に暮らしてたんでしょ? そんなこと新聞に書いてあったわよ」
「まあそうなの。じゃあ大変だったわね」
「ねぇ……ずっとあのお母様の面倒見て、最期がこれじゃね」
「アデリナさんが結婚させなかったのかしらね」
「さあ……でも、そうかもしれないわね。急に出てこなくなったじゃない。旦那さんが亡くなってから? あの派手な人が」
「あら、違うわよ。出てこなくなったのって、妹さんのことがあってからよ」
「妹さん?」
「ほら――」
女たちはいっそう声を低くしてこそこそと話し始めた。これ以上は聞こえない。だが、女の一人の唇は読めた。
シメイテハイサレタ、イモウトサン
「――――」
「お待たせしましたロイドさん、アーニャさん」
ちょうどヨルさんが翼廊側から回ってこちらへ来た。軽く笑顔で迎えて、一緒に後方へと戻った。
埋葬の時間まであと一時間も無いが、時間までアーニャには大人しく座っていてもらわなくてはならない。なるべく後方にいたほうが安全だろう。色々な意味で。
「ここら辺で座ってましょうか」
「そうですね」
アーニャを真ん中にして座ったほうがいいかと、ヨルさんに先に奥に座ってもらうよう促す。
「アーニャ、ヨルさんの隣に座れ。静かにな」
「うい――あた」
アーニャの足元を見てやりながらその後ろにつくと、アーニャが変なところで止まった。どうやら、ヨルさんに当たったらしい。
ヨルさんが長椅子の二席分辺りのところで止まって、身廊の向こう側を見て足を止めていた。
「あ、アーニャさん、ごめんなさい」
ヨルさんが慌てて進む。そして、アーニャの手を引いて自分の隣に座らせた。
知り合いでもいたのか?
座る前に、チラリと身廊の向こう側を見ると、老人といってもいい白髪の男性がひとり、向こう側に座っていた。
その顔には覚えがあった。確かヨルさんの部の部長だ。
マクマホンとかいったか。同僚をみて驚いたのだろうか。見ると、マクマホンは一人で――いや、連れがいたのか。
マクマホンは身廊の向こう側の椅子に座っていたが、身廊の一番近い席からひと席分が空いていた。
今の今まで誰か座っていたのだろうか。首だけ回して後方を見ると、ちょうど外に出て行こうとしている人影が見えた。
だが、半分だけ開いた扉に隠れてきちんとした姿は捉えられなかった。かろうじて男、と認識した程度だ。
そして、その人物と入れ替わるように――先ほどユーリ・ブライアと一緒にいた男が扉口に現れた。







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