2024-11-01

位置情報

 気がつけば、いつも姿を探している。 
 理由なんてものはない。
 ただ、いつも見える場所にいてくれたら。それだけで。
 きっと――特に意味もない。

 
「遊馬さん、泉さん見ませんでした?」
「篠原くん、泉さんを連れてきてちょうだい」
「あすまー、泉ちゃんどこ行ったの?」
「篠原ぁ! 泉はどうしたぁ!?」
「篠原、泉は? 何をしてるんだか、まったく」
「だーっ! 知るかっ!!」
 代わる代わるに同義語で問われ続けて、篠原遊馬はとうとうキレた。
 勢いよく立ち上がったので、安物のオフィスチェアがくるくると回る。それを片手で止めながら、珍しく隊員室まで来ていた後藤が「怒るなよ」と眉尻をさげた。
「おれが知るわけないじゃないですか!」
 目の前にいるのは一応は所属の長だ。だが最後の最後に問いかけられたのが運の尽き。遊馬はおかまいなしに噛みついた。
 実は、遊馬も先ほどから野明を探していた。探し回ることすらしなかったものの、ハンガーの回廊まで出て、その姿を捉えようとはした。
 ふたりだけで話したいことがあった。急遽決まった会議が始まる前に。
 にも関わらず、いくら待っても野明は帰ってこないため、遊馬自身も憮然としていた。
 そんな事情もあって、語気が少し荒れた。
「おい、篠原! きさま隊長に向かって」
 上下関係を重んじる太田がすかさず食ってかかる。が、当の後藤は「知らないのか。まいったね」と言っただけで気にした様子もない。
「だいたい、なんでみんなしておれに野明の居場所を聞くんだ!?」
 吠える遊馬に、後藤の隣にいたシバシゲオが肩をすくめる。
「そりゃ、遊馬なら知ってるって思うからじゃない」
「現在進行形で知らんわっ!」
 事実だ。本当に知らなかった。だいいち、ただの同僚の居場所など、いちいち把握してるわけがない。そんな理由もない。
 いくらコンビを組んでいるとはいえ、四六時中一緒に行動しているわけでもない。せいぜい「ひもすがら」程度だ。それだって条件としては、同じチームの山崎ひろみも一緒のはずだ。
 にも関わらず、周りの人間はなぜか野明に関することを遊馬に聞いてくる。野明の居場所から、果てはプライベートに関わることまでも。いつの間にか、野明の保護者のように見られている。
 他人からのそんな無神経な扱われ方にも腹が立っていた。何故なのかは、わからない。ただ、この渦巻く出処の分からない感情を抑え込もうと苦心している。それを誰にも悟られたくなかった。
「悪かったわ、篠原くん。なんだかんだ、つい泉さんとセットで考えてしまって」
 熊耳が素直に謝る。ひろみと進士も一緒に申し訳無さそうな顔をした。謝ってはいるが、なお「セット」呼ばわりされるのが気に入らない。だが、さすがにそれ以上深堀りするのは我慢した。
「まあ、とはいえ泉がいなきゃ会議始まらんしな。署内のどっかにはいるんでしょ?」
 机の上の書類をパラパラとめくりながら、成り行きを眺めていた後藤がのんびりした口調で尋ねる。
 後藤が持っているのは、これから使用する会議の資料だ。
 先日、篠原重工が新規に開発した「HOS-SAD」が第一小隊の「AVS-98」へ正式搭載された。すでに稼働し、成果も上げている。
 HOS-SADは、篠原が独自で開発したオペレーションシステム「HOS」の追従品として作り上げた衛星システムだ。衛星からの情報をもとに、自機および任意の対象の位置の特定が可能になる。
 第二小隊のイングラムへの搭載するかは不透明だが、とりあえず情報共有も兼ねての勉強会をすることになった。その資料だ。
「そりゃ……。買い出しは整備班が行きましたし、どこかには」
「あそ。じゃあ篠原、探してきてちょうだいよ」
「おれがですか!?」
「誰でもいいんだけどさ。忙しいシゲさんに付き合ってもらう会議なんだし、さっさと始めたいのよ」
「まあ、おれっちは別に忙しくはないっすけどね」
「シゲさん、今それ言わないで。――頼むわ」
 後藤が苦笑いしながら遊馬に向かって頼んだ。
「はい……」
 遊馬はしぶしぶ従った。
 それで結局またおれか。なんで待機中に待機してない奴の尻拭いをせにゃならんのか。
「遊馬さん、一緒に探しますよ。とりあえずぼくは宿直棟のあたりを」
「じゃあ、ぼくは外を」
「おやっさんは今日本庁だし、さっき見た限りはハンガーにもいなかったけどなあ」 
 進士やひろみやシゲが、野明がいそうな場所をあげていく。それを遊馬が制した。
「いいよ。どうせ給湯室だろ」
「え?」
「なんだ、やっぱり知ってんじゃない」
「推理っ!」
 遊馬は壁に貼られたホワイトボードを指さした。そこには隊員たちの当番表がある。その一番上の「茶坊主」と書かれた欄に「泉」と書かれてあった。
「あー……」
「でも、さっきはいませんでしたよ?」
「茶ぁもらったのも、一時間くらい前だったしな」
 疑問を口にした太田たちに、遊馬はそんなこともわからないのかと言わんばかりの視線を向けた。
「どーせ、あいつのことだから整備班とかいろんな場所に配り歩いてんだよ。この時間ならそろそろやかん持ってあがってくるって」
 遊馬の推理に、全員が「ああー……」と声を出した。容易に想像がついた。
 まさにそのとき、野明がハンガーから鉄階段を上がってくるのが見えた。その手には、いささかサイズオーバー気味なやかんも持っている。
「ほら見ろ」
 そう言ったのと同時に、ほっとするどころか、胸にしまった苛立ちが再び燃え上がった。
 どうしてあいつは、こんなにも無頓着なのか。
 会議の前に、野明には説明しておこうと思った。この会議が意味することを。
 HOS-SADは、HOSを使用する関係上、イングラムでは荷が勝ちすぎるという懸念がある。その場合、ゆくゆくはイングラムがお払い箱になる可能性があった。というか、その確率が高い。「イングラム」をこよなく愛する野明には、いくら効率のよいシステムでも酷な話だろう。
 だから、先に趣旨を伝え、すぐではないこと、ただの情報共有だということをよく言い含める予定だった。
 彼女が動揺しやすい性格なのをよく知っていた遊馬なりの配慮だった。
 なのに……。
 こちらの心配などまるで違う世界のことのように、機嫌よく階段を登ってくる。
 よく考えれば、野明はこの会議自体を知らないため無理もないのだが、今の遊馬にそんな余裕はなかった。
「――ちょっと連れてきます」
 遊馬は再び憮然と部屋を出ていった。
 その後姿を見送りながら、部屋に残った者たちは同じことを思う。だがみな大人なため、自分の心にしまうだけにした。
 唯一、そういった配慮に欠ける太田だけが、「――たまに、篠原は気持ち悪くないか?」とつぶやいた。
「……」
 全員、沈黙をもって肯定に変えた。 

   
「野明が悪いぞ」
「な、なんだよ!?」
 会議終わり。数人で残って資料や机を片付けながら、遊馬が野明にクレームをつけた。
「おまえがふらふら出歩いとるから、こんな時間まで会議がおしちまっただろーが」
 もう外はだいぶ暗い。定時を一時間ほど過ぎてしまっている。部屋には野明、遊馬、シゲと進士だけだ。太田とひろみと熊耳は食事当番のため、会議が終わると急いで調理室へ向かった。
「でも、今日会議するなんて聞いてなかったし……」
「じゃなくたって、今は待機中なんだぞ。隊室にいろよ」
「遊馬だって電算室とか行ってるじゃん」
「おれは仕事なのっ」
「あたしだって仕事の一環だよ!」
「行方不明になってみんなに探される仕事なんざ仕事じゃねえっての!」 
「だから、ごめんて言ったじゃんか!」
「まあまあ、まあまあ」
 あわや喧嘩になりそうなふたりをシゲが止めた。
「てか、実際どこまで行ってたのよ?」
「どこって……最初に整備班室行って、そのあと事務室」
「事務室ぅ?」
「うん。そこで資料をホチキス留めするの手伝ってた」
「あそこ、ひとなんかいたっけ?」
「そりゃいますよ。常にひとりかふたりは常駐してるんですよ」
 進士が呆れたように答えた。
「へー」
 知らなかった。一階の正面玄関の脇に事務室があるのは知っているが、遊馬はほとんどそこから出入りはしないため馴染みがない。 
「なんかさ、あたしもあんまり知らなかったんだけど、あそこの人たちも人手が全然足りてないみたいでさ」
 通りかかったら、かなりの量の資料をふたりだけで作っていたので思わず手伝ってしまったとのことだった。
「まあ、そうかもしれませんね。島流しの同然の小規模部署とはいえ、なんだかんだで六十人以上はいますからね、ここ」
 独立愚連隊を気取ってはいるが、その実、全員がれっきとした公務員だ。
 署内の備品、消耗品、宿直時の食料、備蓄品に生活用品。全て公費で賄われているし、それには申請書や領収書の処理は必須だ。
 遊馬たちの給料だって、彼らが計算してくれるからこそ、毎月きちんと振り込まれるのだ。
「そう考えるとありがたいよね。あたしたちが何不自由なく仕事できてるのは事務の人がいてくれるからでしょ。ちょっとは手伝わないと」
「何不自由なくだとぉ?」
「遊馬、あげ足とるのやめてよねっ」
 ネチネチといつまでもしつこい男に、いいかげん、野明もきっと睨んだ。
「だいたい、遊馬には迷惑かけてないじゃんか」
「おまえ、この状況でよくそんなこと言えるね」
「だから、なんなのさ?」
「おまえがいないと、皆がおれにおまえの居場所を聞きにくるの!」
「なんで!?」
「知るかっ!」
「いや、それはもう……本当にぼくたちが悪くてですね」
 今度は進士が間に入る。
「ようするにさぁ、こっちの認識は遊馬と泉ちゃんてニコイチなのよ。おたくらいつも一緒じゃん」
「そんなわけあるか!」
「そうだよ!」
 おまえらだけだ、そう思ってるのは。
 シゲも進士も、同じセリフが喉元まで出かかる。
 ちょっとは客観的な意見も取り入れてほしいものだが、そんなことを言っても納得しないだろうというは、シゲも進士も分かっていた。
「だいたい、事務室を手伝うったって、そんなもんおまえの仕事じゃないだろーが」
「仕事じゃなくったって、やることなんていっぱいあるじゃん! 困ってる人を助けたらいけないわけ!?」
「いけないなんて言ってねーよ!」
「言ってるじゃん!」
「おれは、おまえが勝手にふらふらしてることを怒ってるの!」
「ふらふらなんてしてないって!」
「実際してるだろーが!」
 ふたりの声がだんだん大きくなり、収集がつかなくなる。こうなると、もうお互い止まらなかった。
 野明には野明の理屈があり、正義がある。遊馬もそれを理解していないわけではない。彼女が何を考えて動いているのか、その背後にある信念がどんなものかも、だいたい分かっているつもりだった。
 だが、それでも――いや、だからこそ余計に苛立つのだ。
 自分の手が届かないところで勝手に動かれていることが。それを他人から指摘されて思い知らされることが、どうしようもなく腹立たしい。
「おまえ、いっぺんおれの気持ちになってみろっ!」
「そこまで!」
 遊馬の怒鳴り声に被せるように、凛とした声が響いた。全員が振り向くと、部屋の入り口に熊耳が立っていた。
「――夕飯よ。篠原巡査は議事録作成の仕事が残っているわね。お喋りしている暇はないはずよ」
 有無を言わせない迫力に、全員が「はいっ!」と慌てて返事をすると、蜘蛛の子を散らすように部屋を出ていった。
「……」
 誰もいなくなった部屋の電気を消しながら、熊耳が大きくため息をつく。廊下へ出ると、隊長室前の長椅子に後藤が座って煙草を燻らせていた。
 いつからいたのか。きっと彼にも部屋の中の声は聞こえていただろうに。
「隊長」
 ほんの少しの非難を含んで、上司に声をかける。後藤は「おつかれさん」と軽く手をあげただけだった。
 

「篠原さぁ」
「わかってます」
 遊馬から議事録を受け取りながらのんびりと名を呼ぶと、彼は即座に答えた。
 思わず片方の口角だけあがる。そのまま黙って煙草を一本取り出してから、葉を均一にするためにコンコンと箱の上で二、三回踊らせた。
 その音に促されるように、遊馬がつぶやく。
「――おれが悪いです」
「うん」
 後藤はそれだけ言って、火のついていない煙草を咥えながら、議事録をパラパラとめくった。
 相変わらず、よくまとまっていて読みやすい文章だ。このまま判を押すだけですぐに上司に提出できる。後藤にとってはいささか面白味に欠けて映るが、上からのウケは良い。
 この年齢の若者にしては、遊馬は「お買い得」の分類に入っている。
 傑物で知られる篠原重工社長の息子という立場もあり、警察内部には彼の存在を疎ましく思うものもいる。が、後藤を含めた現場にいる人間の評価は総じて悪くない。 
「で、どうなんだ。HOS-SADについてのおまえの見解は」
 後藤は、話題を変えて尋ねた。「無粋なことはしない」が後藤の信条だ。
 遊馬も姿勢を正して、頭を切り替える。
「必要です。急務と言って良いです」
「うん」
 同意見だった。
 この衛星システムがあれば空から俯瞰で情報を取得できるようになる。犯人の補足や災害救助など、センサーと目視頼りな状況が変わる。だが、同時にレイバーの制御システムにも組み込まれるのは必須だ。コストを度外視すれば、イングラムに搭載することも不可能ではないらしいが、それよりは、イングラム自体を変える動きになるのは当然だろう。
「泉は嫌がりそうだなぁ」
「……」
 遊馬はそれ以上は言わなかった。伸ばした背筋に反して、視線は床を見つめている。普段の自信家な姿とは打って変わって、どこか疲れた表情をしていた。
「ま、いいか。今日明日のことじゃないだろうし。じゃ、これはこのまま受けとっとくわ。ご苦労さん」
「失礼します」
 遊馬は軽く頭を下げると、きびすを返した。その後ろ姿が、寄る辺のない殉教者のようで、思わず「篠原」と声をかけた。
「心配しなくても、泉はおまえの苛立ちを真に受けたりはしないよ。それで距離をとることもな。――それとも、コントロールしたいのか?」
 後藤の言葉に、遊馬は驚いたような表情を見せた。後藤がこんなことを言うなんて思ってもいなかったのだろう。
 後藤自身も思っていなかった。
「――」
 遊馬が、何かを言いかけた時、天井近くに設置されたスピーカーからけたたましいサイレンが響いた。 
『第七管区より通報。東京都江戸川区臨海町、都立臨海浜公園内で所属不明のレイバーが稼働していると通報あり。第二小隊全機出動せよ。繰り返す』
 遊馬は言葉を飲み込み、すぐに顔つきを変えた。後藤も無言で立ち上がる。冷静な表情を保ちながらも、その目はすでに現場を見据えていた。
 

 都立臨海浜公園。
 似たような名前の公園はいくらでもあるが、この場所は他の海浜公園とは一線を画している。
 もっとも顕著なのは、その広さだ。東京の中心にある多目的ドーム、およそ百七十個分の広さを誇る。
 遊馬、熊耳、後藤は、公園に直結した駅のロータリーに車を停めた。デッキアップキャリアはこの場所へは侵入できないため、少し離れた場所の大型駐車場に停まっている。
 通報したのは、駅前にある交番の警察官だった。
 現在、この臨海浜公園では大規模補修が行われており、レイバーが常駐している。だが、作業が終わったあとに稼働しているレイバーの影を見たのだという。
 ここはあくまで交番だが、駅舎を出るとすぐ公園内という構造だ。そのため、園内の工事などの把握もすることになっていた。
「ここのレイバーの数は? 揃ってるの?」
 後藤が通報した警官に聞いた。
「はい。キーも全て管理棟で保管しています。ですが」
「が?」
「昨日、うち一台に不具合が出たとかで、メーカー修理を頼んだらしいんです。今日引き取りで。その際、代替機は無いと連絡を受けてたらしいんですが……」
「なぜかあった、と」
「はい」
「んで、それがいま徘徊してるレイバーじゃないか、と」
「はい」
「キーは?」
「それが、電話で確認したところ、整備責任者は代替機が無いものだと聞かされていたらしく……」
「確認しなかったの?」
「というか、そもそも一機多いことすら……」
「それ、まずいじゃない」
「はい……」
 警官は可哀想なくらいしおれている。自分の管内で事件かもしれないものが起こったことに責任を感じているようだった。別に彼のせいではないし、責任は現場監督と整備責任者の監督不行き届きにあると思われるが、他人ごとではないのだろう。
「現場監督は、いまこちらに向かっているそうなんですが……」
「どうして、そのレイバーが他のと違うとわかったんです?」
 隣で聞いていた遊馬が、警官に聞いた。
「いえ、最初はわからなかったんですが、作業は終わってましたし、現場監督も帰宅してましたので。それに……」
「それに?」
「なんというか、いつも見ているレイバーとはちょっと形が違っていて」
「種類はわかりますか?」
「すいません、自分はあまりレイバーには詳しくなくて」
 警官は頭をかいて恐縮する。仕方がない、一般的にはレイバーは工業製品だ。そこまで詳しくなくても無理はない。
「でも、初めて見る形でした。えっと、シルエットですけど」
 名前は知らなくとも、大規模改修で多くのレイバーを見慣れている警官が知らないとすると――。
 遊馬たちに一気に緊張が走った。
「ここって指揮車は入っていけないのかな?」
「地図にはありませんが、東側の駐車場から中に侵入できます。園内の清掃や工事車両などはそこから」
 警官がすぐに地図を広げて詳しく説明する。
「なるほね。――一号機、二号機、デッキアップ。泉、太田は各機へ搭乗。指揮車到着までそのまま待機」
 後藤が無線機で各キャリアの進士とひろみに指示を出す。すぐに全員から諾が返ってきた。
「なんでも良いんです。そのレイバーで思いついたことを言ってみてください」
 熊耳がなおも警官から情報を得ようとする。
「ええっと……手っていうんでしょうか、それは細くて。背はここのレイバーと同じくらい。足は短くて。あ、でも走るのは速かったです。バックで走って行って、あっという間に見えなくなってしまって」
「バック? 方向転換ではなくて?」
「いえ。懐中電灯を照らしたら、そのまま後ろに下がったので」
「そんなレイバーあったっけ」
 熊耳も後藤も首をかしげる。市場に出ている作業用レイバーはだいたい頭に入れているが、バックで走り去れるほど機動性に富んだレイバーには心当たりがない。改造か、日本に入ってきてない新機種ということもある。そうなると、大規模なテロ……しかも、国際的なテロの可能性もある。
 後藤は近くにいた機動隊員に目で合図を送る。隊員たちは頷くと、まずは園内を巡回するために散っていった。
「熊耳は、とりあえず二号機とともに園内の巡回、篠原は――篠原?」
 遊馬は何かを思い出そうとするかのように考え込んでいたが、突然パッと顔を上げて自分の指揮車に走った。そして、助手席のボードからファイルを持ってくる。支給したファイルではない。遊馬が自分でまとめているレイバー関連のファイルのようだ。後藤が覗き込むと、レイバーの写真とともに、各機体の性能などが引くほど書き込まれていた。遊馬は、その中のページを開いて警官の前に差し出す。
「それって、このレイバーじゃないですか?」
「あ! これです!」
 警官は指をさして叫んだ。
「……これ?」
 一緒に覗き込んだ後藤と熊耳が、ふたりそろって困惑した表情を浮かべた。

「エセキ農機のEL-01……」
 耳慣れない型番にハテナが数個浮かんだ。野明も勉強してはいるが、なかなか遊馬のようにはいかない。名前で言ってほしい。
『豊作くんて言えばわかるか?』
 願いが通じたのか、遊馬が通信機ごしに補足してくれた。 
「ああ!」
 コクピットの中でぽん! と手を打つ。以前、野明と遊馬とひろみの三人だけで東京近郊の鬼降村という場所へ調査に行った際に出会ったレイバーだ。久しぶりに名前を聞いた。
「あれ? でも、あれって農機具じゃなかった?」
 確か、水田や畑の中を走りやすいように小回りがきくと、そのレイバーに乗っていた青年が言っていた記憶がある。
「理由はわからん。でもここに潜伏しているのはそのレイバーらしい」
「なんで?」
『だから、わからんって』
 遊馬がいつもの調子で率直に答える。その言葉に「そっか」と返事をしながら、野明はぶっきらぼうないつもの口調に安堵した。
 邪険にされたと受け取ってもいいような口調なのに、それがかえって安心材料になるのだからおかしなものだ。だが、野明はその一見突き放したような口調の中に、彼の謝意と自省を確かに感じた。
 夕方から遊馬の機嫌が悪かった。隊員室にいなかったことを責められたから、会議に遅れたことは謝ったが、彼の機嫌が直ることはなかった。
 他に何をやらかした覚えもないのだが、その不機嫌さは野明に向けられていたから、何か彼の気に障るようなことを重ねてしたのかもしれない。
 そんなとき、野明は怒りよりも困惑のほうが先に立ってしまう。
 遊馬は、野明がこれまで生きてきた環境にはまったくいなかったタイプの人間だ。 
 後藤も、太田もあまり周りにはいなかったが、彼らとは世代も離れているし、どこか自分とは違う……こういってはなんだが、自分の人生には直接交わらない「遠さ」がある。彼らの生き様は、知見を広げることはあれ、自分の価値観を揺らすことはない。
 だが、遊馬は違った。
 年が近い、コンビを組んでいるということももちろんあるが、それ以上に野明にとって、遊馬は「ごく近い」と感じる人間だった。
 今まで出会ったことのないタイプの人間なのに「近い」と感じるなどおかしな話だが、そうとしか言いようがなかった。
 ただ、遊馬が野明に対しても同じ思いでいるかは分からない。彼は、野明がある程度近づくのは許してくれるが、近づき過ぎると途端に突き放される。
 遊馬には、他人を受け容れない境界線がある。
 その手前までは行けるが、それ以上は決して踏み込めない。踏み込んではいけないと強く思う。
 野明は、その手前に立つたび、いつも動けなくなる。
 自分でも、この感情が何なのかはっきりとは分からない。ただ、遊馬をもっと知りたいという気持ちがある一方で、彼に近づき過ぎてはいけないのだという理性も、自分の中で強く響く。
 それはまるで、知らぬうちに張り巡らされた見えない壁に阻まれているかのような感覚だった。
 その壁の中で、ずっと同じ問いが反響し続けている。
『――とりあえず、太田と熊耳は西側から巡回。泉、篠原は東側からだ。車両は通れるん――だよね? だって。機動隊の皆さんもいるからね。足もと気をつけて。よろしく』
 後藤のいつもののんびりした声が通信機から聞こえる。
「了解」
 返事をしてから、遊馬の指揮車が前に出るのを待った。イングラムのセンサーを通して辺りを見渡すが、レイバーらしい反応は無かった。
 イングラムは、基本が熱感知と電磁反応を捕らえることで、対象を補足する。言い換えれば、カメラに映り込む物しか捉えることはできない。こういった、「いるはず」という不確かな対象には、搭乗者である野明がよくよく注視しなければならない。  
『野明、園内の地図送るぞ。そのまま水族館まで進め。障害物には注意しろよ』
 遊馬の声と同時に、正面のコンソールパネルに地図が映し出された。
 野明たちがいる東側の駐車場、その正面には水族館の特徴的なドームが見える。全面ガラス貼りのドームはかなり有名だ。いつか行ってみたいと思いつつ、まだ達成していない。
 そのさらに東側も園内のようだ。地図にはなにか大きな水たまりのような絵が描かれていた。水族館までが園内だと思い込んでいたが、こちらのほうがエリア的には大きい。
「水族館の端っこのあたりってなに?」
『野鳥の観測エリアです。下の池と上の池という人口池があるんです』
 通信機から、全く知らない声がした。
「だれ?」
『園の交番の人だ。目撃したのは彼だけだからな。乗ってもらった』
 警官は佐竹と名乗った。そして、園内の詳しい情報をかいつまんで教えてくれた。
 園内は、ほぼ真ん中にプロムナードと呼ばれる石畳の遊歩道が海に向かって通っている。
 その場所を基準として、西側にはバーベキューや観覧車があるエリア、東側は水族館がある。園内の真ん中、プロムナードの先には、全面ガラス貼りの展望ハウスもあるとのことだった。また、園内の駅からほど近いエリアには、都営のホテルも建っているらしい。
『さながら園内がひとつのテーマパークね。もしもここに爆発物などが置かれたとしたら……』
 誰もが一番不安に思っていることを、熊耳が口にした。
『レイバーを見たのは、西側なんですね?』
『はい。ちょうど、観覧車があるあたりです。拓けている場所なんですが、近くに森のような生い茂った場所があって、見えなくなってしまって』
 野明は佐竹の説明を聞きながら、必死にマップを追った。確かに西側に観覧車を示すマークがあった。高速道路からもよく見えるため、あるのは知っていたが、思っていたより大きい。
「ここ狙われたらやだなあ」
 思わず素直な感想が口をついた。
 観覧車が壊れる姿は見たくない。単にそれだけの感想だったが、佐竹は「そうなんです」と力強く同意した。
『モニュメント的な意味で?』
『いえ。それより、観覧車近くの公園の脇に、首都高の電気系統が集まった基地があるんです』
「え……」
『どこに?』
『ジャンクションの真下です。ほら、あそこ。あそこを狙われたら……』
 佐竹の声を聞きながら、有視界に切り替える。佐竹の言う通り、遠くにライトアップされた観覧車が見えた。その先には、首都高速の陸橋も見える。首都高湾岸線と中央環状線を結ぶ、渋滞することで有名なジャンクションだ。確かにここを叩かれたら関東から東北、北陸へ抜ける物流は大打撃を受ける。そんな大動脈が、海のすぐそばに建っていた。
「やばいじゃん」
 事態は思ったよりも深刻かもしれない。ぞわぞわとした恐怖が野明の身体を覆った。
『安心しろ泉ぃ! 観覧車も首都高もこのおれさまが守ってやるっ!!』
 ぬはははーっと、根拠のない高笑いをしながら、二号機がチュインチュインと駆動音を響かせながら走り去っていく。熊耳の『指揮車より前に出ない!』という怒鳴り声が響いた。
「隊長、あたしたちも西側に行ったほうがいいんじゃ……」
『駄目だ』
『駄目だ』
 遊馬と後藤の声が同時に聞こえた。
『落ち着け、野明。まだ爆発物があると決まったわけじゃない。佐竹さんはレイバーを見ただけだ。事実だけを拾え』
「う、うん……」
 遊馬の冷静な声で、不安が凪いでいく。確かにそうだ。レイバーを見ただけ。何も始まってないし、起こってない。「かもしれない」は「かもしれない」だ。
 同時にそれは「何が起こるかわからない」ということだ。結果を想定して行動するのは間違っている。
 後藤も同じ意見なのか、それ以上声はしなかった。
 ああ、こういうときだ。遊馬を「近く」に感じるのは。
 彼は、野明とは全く違う感覚で生きている。それでいて、野明の感覚先行の性格もきちんと理解して冷静に支えてくれる。
 いつの間にか、遊馬がそばで見ていてくれることが、イングラムを乗るうえで重要な寄る辺となっている。
 野明は、おそらく彼自身には伝えることはないであろう感情を、自分の中に見つけて大事にしまった。
 そのとき、急に視界の端に奇妙な黒い物体が映った。
「……!?」
 イングラムの身体ごとその方向を向く。水族館の左側、佐竹が野鳥エリアだと言った方角だ。街灯もあまりないのか、ライトアップされた水族館とは対照的な暗さの中に、何かが動いているのが見えた。
 コンソールパネルには何も写ってはいない。遠すぎて捕捉できないのだろう。
 その方角には、一面の森が広がっていた。その中の窪地のようなわずかに拓けた場所に楕円の建物が見える。目を凝らすと、やはりその辺りで何かが動いていた。かなり大きな物体だ。
「遊馬! いた!!」
 野明が有視界席から叫ぶと、遊馬も車を降りて目を凝らす。だが、彼の場所からは森が障害物となり見えないようだ。
「どこだ!?」
「野鳥エリア! 楕円の建物の辺りになんかいる!」
「それ、野鳥のウォッチングセンターです!」
「どうやって行くんですか?」
「ここからなら駐車場沿いから行けます! 上の池を回り込めばすぐです!」
「野明、先行していけ! 無茶だけはするな!」 
「了解!」
 まだデッキアップした駐車場からそれほど離れていなかった。そのままイングラムを左に向けると、アスファルトの道が続いている。目の前には鬱蒼とした森が茂っているが、佐竹の話では、ウォッチングセンターまでは道が出来ているという。
 だが、しばらく進むといきなり鉄門が現れた。イングラムは跨いで通れるが、遊馬の乗る指揮車は無理だ。
「遊馬ぁ」
「ああ! すみません!! そこは基本施錠されてるんです!」
 遊馬も気づいて小さく舌打ちした。鉄門によじ登り、門の上から進行方向を見る。だが、ここまで来ても上の池の淵に生えるススキのような背の高い草が邪魔して、ウォッチングセンターもレイバーも見えなかった。
「遊馬、危ないよ」
「他に道は?」 
「車両だと、一度海岸まで出て船着き場側から行くしか……」
「聞いたか? おれたちは別経路から行くからな。慎重に」
 遊馬が門の上から指示を出しているちょうどそのとき、大きな駆動音が響いて、上の池の中からいきなりレイバーが現れた。
「ええ!?」
 池を突っ切ってきたのか、レイバーの機体は泥だらけだった。そのレイバーは、こちらに気がついて、また慌てて池の方へバックで戻る。
「まてっ!」
 慌てて追いかける。
「野明! そいつは水田用だ! 池も湿地帯も歩行可能だぞ!」
 後ろから遊馬の声が響いた。けれど追いかけないわけにはいかない。逃さないように池まで追いかける。
 不審レイバーは、そのままくるりと向きを変えたうえで池の中をジャブジャブと入っていく。そこまで深くないのかもしれない。これなら……と同じように進もうとしたところで、通信機ごしに遊馬の声が響いた。
『野明、相手と同じ動きをするな。そこはほとんど沼だ、イングラムの重量じゃ不利だ。歩速とリーチはこちらが上だ。淵を回り込めば先にいける。ワイヤーをうまく使え』
「おお!」
 見えてないはずなのに、遊馬の的確な声が野明の路を指し示す。その通りにすると、不審レイバーの前に踊り出た。不審レイバーは、またもやバックで違う方向へ逃げようとする。
「逃がすかっ!」
 ワイヤーを思い切り出して、相手の機体めがけて放り投げる。
「かかったぁ! 遊馬!」
『うわっ!』
 相棒の名を呼ぶのと、その彼の驚愕した声が同時に響いた。
「どしたの!?」
 だが、遊馬は野明の問には答えず、そのまま通信はぶつりと切れた。
「あすま!?」
『――一号機、指揮者交代。おれが指揮をとる』
 急に後藤の声が割って入ってくる。その声はいつも通り冷静そのものだ。今の野明には冷酷とも受け取れた。同時に、遊馬になにか異常事態が起きていることも示唆している。
「隊長、遊馬が!」
『泉、目の前のレイバーに集中しろ!』
 後藤の鋭い叱責が飛ぶ。だが、その声音は決して冷たいものではなかった。
『今は、自分の役割を全うしろ。篠原には応援を向かわせた。大丈夫だ』
「――りょうかい!」
 野明は後藤を信じて、目の前のレイバーに向き直る。ワイヤーで絡ませたレイバーは、逃げ出そうともがいている。引き寄せて電磁警棒で動きを止めれば……。野明は、自分で考えてアームに力を込めて手繰り寄せる。綱引きのようだ。ジリジリと引っ張られる感覚が起きる。相手もかなり重量はあるようだ。
「あっ!」
 イングラムのつま先ががくんと前のめりになる。沼の中に引き込まれそうになる。
 野明は必死にレバーを引きながら、バランスを直そうともがく。が、こう暗くてはどこからが池でどこからが陸地なのか判別がつかない。
「明かり……」
 こんなときに、今まで夜でも光量に不安を覚えたことがないことに気がつく。
 いつも遊馬の指揮車がそばにいたからだ。キャリアが入ってこれない場所でも、遊馬の指揮車が確実に光を照らしてくれた。
 今更そんなことに気がついた。
 遊馬がいないと……。
 その時、カッと真正面から大量の光が照らされた。とっさに目を細める。逆光の中で、ワイヤーに縛られたレイバーの姿が映し出される。
 これで相手との距離がわかる。足元も。
 遊馬?
 期待に反して、後藤の声が届いた。
『泉、絶対に離すな』
「……はいっ!」
 けれど、言葉に反してジリジリと向こう側に引っ張られる感覚が続いている。
 つま先の柔らかな泥の感触が、イングラムの動きを鈍らせる。
 相手の動きに合わせ、野明は自分もレイバーの体勢を低くし、再びワイヤーを巻き上げながら機体を支えた。だが、片足が泥の中では自由な動きが制限され、思うように進めない。泥の跳ね返りと機体の重量が、じわりじわりとイングラムを沈み込ませていく感覚に、焦りが募る。
『歩速もリーチもこちらが上だ』
 ふいに脳裏に遊馬の声が響く。そうだ。そう言っていた。さっきだって相手を追い抜かして回り込めた。
「スピードはこっちが上」
 ならば!
 野明はいきなりワイヤーの手を離した。ギリギリまで機体を緊張させもがいていたレイバーは、いきなり自由になってバランスを崩した。
 その隙をついてイングラムを走らせる。硬い地面を選びながら、レイバーの反対側にまわり、咄嗟にバックしてきた機体を羽交い締めにした。
「捕ったっ!」
 レイバーの肩を締め付けながら、電磁警棒を取り出す。レイバーは、なおも機体を無茶苦茶に揺すりながら逃げようとする。
「こんの……っ!」
 野明は、背面からレイバーのお腹側、操縦席の真下に向かって電磁警棒を振り下ろした。
「逮捕っ!」
 園内にいるすべての人間に聞こえるように、そう声を張り上げた。
 ガシッとした鈍い音と、衝撃。それらを全身に受けながら、頭の片隅で遊馬の顔が浮かんだ。
 しばらく衝撃に耐えたあと、そっと目を開く。
 目の前のレイバーは完全に沈黙し、それ以上動くことはなかった。
『よくやった、泉。確保だ』
 後藤の声が無線から響き、続いて機動隊の警官たちがレイバーによじ登って操縦席をこじ開けているのが見えた。
 野明の仕事は終わった
 野明は少しホッとした表情を浮かべたが、すぐに遊馬のことを思い出す。
 イングラムはすぐに動かせない。後藤から離脱許可を貰うと、すぐにコクピットのハッチを開けて外に出た。
 ちょうどそのとき、どこかで無数の笛の音と、「確保ーっ!」という怒鳴り声が聞こえる。野明が逮捕したレイバーのことではなさそうだ。ここのほかにも被疑者がいたのか。
 遊馬。遊馬は……?
 上から俯瞰で辺りを見渡すと、海側の小道あたりに人集りができていた。
 黒いスクラムのようなものが蠢いている。その脇に、鮮やかなオレンジ色を見つける。
「あすまーっ!」
 思わず叫びながら慌ててイングラムから降りる。地上に降りて、再びそちらに目を向けると、長い腕が空に向かって拳を作っていた。

 

「野明、相手と同じ動きをするな。歩速とリーチはこちらが上だ。淵を回り込めば先にいける」
 指示を出しながら、遊馬は門扉から反対側に降りた。指揮車は通れない。歩いていくしかない。
「隊長」
 小走りで向かいながら、後藤のダイレクトチャンネルへと変える。
『どうした』
「投光器を用意してください。野明がレイバーと交戦に入りました」
『例のか?』
「はい。水田用レイバーです。やはり湿地帯にいましたね」
『やっぱりそっちか。おまえは?』
「指揮車は門が施錠されて侵入不可でした。徒歩でイングラムの近くまで行きます。隊長たちは海側から入ってください」
『わかった』
 遊馬が視線を前に戻した瞬間、目の前の草むらが音を立てて揺れた。次の瞬間、男が勢いよく飛び出してきた。顔は見えず、フードを深く被っている。男は、遊馬に驚くが、即座に持っていた巨大なビニール袋を遊馬に向かって投げつけた。
「うわっ!」
 遊馬は反射的に身をかわそうとしたが、一瞬遅れてまともに食らってしまう。衝撃で被っていたバイザーが吹っ飛んだ。
 すぐにバランスを取り戻して不審者を捕らえようとするが、その前に男は全速力で駆け出していた。
 道路に当たったビニール袋の中身が散乱している。何かの草だった。遊馬自身、それを見たことはなかったが、状況からピンときた。
「篠原さん!?」
「大麻だ!」
 門を越えて走り寄ってくる佐竹に叫ぶ。
「え!?」
「人呼んで! たぶんまだいる!」
 遊馬はそれだけ叫ぶと、逃げた男を追いかけて全速力で駆け出した。

 遊馬は必死に不審者を追っていた。
 暗がりの中、その背中が遠ざかっていく。男は土地勘があるのか、なだらかなアスファルトの小道を自分の庭のように走り抜けていく。その背中に食らいつくように必死に追いかける。
 後ろから笛の音と叫び声が響いた。佐竹が応援を呼んでいるようだ。遊馬は前傾姿勢のまま全速力で駆ける。視線はひたすら前の不審者を捕らえ続けた。
 アスファルトの道が曲線を描いた瞬間、視界の端に何かが動く。
 背の高さほどもある草むらのその先に、野明のイングラムが姿を現した。
 白く巨大な機体が、投光器の光を浴びて輝いている。その反射光が、まっすぐ遊馬に降り注いだ。
 その瞬間、遊馬の心臓が激しく高鳴る。
 ――「それ」はずっと自分の中にあったのかもしれない。今、初めてその存在に気づいただけで。
 その湧き上がった感情が遊馬の身体を突き動かし、スピードが自然と増していく。不審者との距離がさらに縮る。
「……っ!」
 もう少しで、手が男の肩に届く――だが、あと一歩がどうしても足りない。
 心臓の鼓動が耳の中で鳴り響き、世界中の音が遠のいていく。伸ばした腕が、虚しく空を掻く。
 焦りが胸を締めつける。あと数センチ、いや、ほんの一瞬でも早ければ……。だが、その瞬間手の中からすり抜けていく。触れられそうで触れられない。焦りは苛立ちへと変わった。
 自分の限界を恨むような思いと同時に、手の先から力が抜けていく。
 その時、聞き慣れたアクチュエータの音が耳に入った。
 イングラムから電磁警棒が抜かれる音だ。すぐに金属が擦れる耳障りな音と、かすかな風切り音が続く。次の瞬間、鋭い衝撃音が響き渡り、何かが折れる音やぶつかる音が耳を突き刺した。 
『逮捕っ!』
 外部スピーカーから、力強い声が響いた。その声が耳を走り抜けると、自然と唇が弧を描いた。 
 ――野明だ。
 その言葉だけが浮かんだ。
 コーナーを回りきり、追いかける背中のその先に、イングラムの巨体が飛び込んでくる。
 目の前の真っ暗なはずの視界が、突然光を帯びて拓けた。
 ――その存在があまりに大きく、いつの間にか探すようになっていた。
 たがら勘違いしていた。
 本当の願いなど、ちっぽけなものだ。 
 本当に。ただ。
 ただ、見ていたい。
 その姿をずっと見ていたい。
 そして、見ていてほしい。
 同じ熱量で見ていてほしい。
 それだけでいい。
 たったひとりの、自慢の相棒に。
  
 ――コントロールしたいのか?
 
「そんなわけないだろう!!」
 遊馬は叫ぶと、肩を下げて、体全体をバネのように使い、男に向かって突進した。肩がその腰にぶつかると同時に、全力で腕を回して押さえ込んだ。衝撃が二人を包み込み、そのまま地面に倒れ込む。
 一拍遅れて、数人の警官が駆け寄ってきた。
「確保ーっ!」
 声が響くと同時に、彼らは一斉に遊馬と男に飛びかかり、逃げられないようにスクラムのように押さえ込んでいく。遊馬はもみくちゃにされながらも、その集団の中からなんとか体を引き抜いた。
「大丈夫ですか!?」
 佐竹が走り寄ってきてくれた。彼がずっと笛を吹いて仲間を呼んでくれたのだろう。
 ゼーゼーと肩で息をしながらなんとか頷く。そのままゴロンと、道路に大の字に寝そべった。
「はは……は……」
 可笑しくもないのに、笑いが込み上げる。
 止まらなかった。
 そのまままっすぐ空を眺めると、視界の端にイングラムの白い姿が映えた。
 もう一度、今度はまっすぐ空を見上げる。
 星もなく、夜だというのに暗くもない。
 ひどくちぐはぐで、理由が無くて、説明もできない。
 ただ、視界に映るそれらは美しく、自分に馴染んだ。
 その瞬間、遊馬の中で何かがストンとハマった。
 白い偶像の中から、相棒が転げるように降りてこちらに向かってくる。
 なぜか、その姿だけははっきりと見えた。
「あすまーっ!!」
 叫びながら近づいてくるその小さくて大きな存在に負けないように、精一杯腕を伸ばして拳を作った。 
  
 
『臨海浜公園で大捕物』
 そんな見出しが朝刊の上で躍っている。
 昨夜のことは、翌朝の新聞にもう掲載されていた。
 逮捕された男たちは全部で五人いた。あの野鳥エリアの池付近で大麻草を栽培していた。
 観光地で人の出入りが多く、目立ちにくい。加えて、あの場所に限っては人気エリアから外れていて人もあまり来ず、日中でも野鳥観測を装えば誤魔化せたらしい。
 大麻草は乾燥した場所を好むため、まさか海っペリの湿地帯にあるなんて誰も思わないだろうという盲点もつかれた。実際にはそこまで神経質にならずとも、乾いた土があれば比較的育てやすい種類だそうだ。野鳥のためにあえて草を刈らずに伸ばしていたのもまずかった。自然のカーテンが、犯行を綺麗に隠していた。
 それが、園内で大規模改修が始まった。犯行がバレることを恐れた犯人たちは、慌ててレイバーを使って根こそぎ刈り取ることにしたらしい。
 放置して逃げればいいのにと思ってしまうのは、素人なのだそうだ。あの場で栽培されていた量はおよそ十キロ。末端価格で数千万円は下らない。しかも、使われた葉のDNAを調べれば過去に摘発されたものと比較されてしまい、アシがつくものなのだという。 
 犯行に使われたレイバーは、あろうことかレンタルだった。昨今の規制緩和で、レイバーも市場レンタルができるようになっている。こんなものがレイバー免許だけで借りれてしまうのだからたまったものではない。レイバーを移送した経緯も、メーカーの修理の隙をついての組織的な犯行かとも思ったが、まったくの偶然だったそうだ。
 捕まった犯人たちも単独犯だった。
 終わってみると、ひどく雑な事件だった。けれど、案外世の中そんな雑さが寄り集まってできているのかもしれない。
 ともすると厭世的になりかねない気持ちを無理に切り替えてふたをした。
 あらかた読み終わって、ひと息ついていると、宿直明けの野明がさっぱりした顔で入ってきた。 
「おはよう。早いね」
「うす。寝れたか?」
「うん。ぜんぜん」
「どっちだよ」
 軽口を叩きながら、野明がいつも通り隣に座る。
 まだ他には誰もいない。ふたりだけだった。
「あ、昨日の?」
 野明が広げた新聞を覗き込んで、早速読み出した。もう読み終わっていたため、新聞ごと渡してやると「さんきゅ」と嬉しそうに読み始めた。
 大麻とか世も末だよねぇ。捨てて逃げれば良かったのに。あ、良くはないか。え、レンタルなのあれ? 壊しちゃったよ。てか、借りれんのあれ。といちいち口に出してうるさい。
 しかも今さっき自分が思っていたものとそれほど差異はない。それが野明の口から出た途端、ひどく軽くて馬鹿馬鹿しくて、それでいてやけに眩しい世界に変わった。
「――なんだよ」
「いや、別に」
 知らず、口角が上がっているのを見咎められ、緩む口元を抑えた。
「変なやつ」
 むぅっと口をへの字に曲げながらも、その口調は怒ってはいない。その程度はもう顔を見なくてもわかった。
 ほんの少し、沈黙が流れる。
「昨日は――」
「あのさ」
 ふたりで同時に話し出す。
「え? なになに?」
「いや、いい。野明から」
「――あのさ、昨日、遊馬途中からいなかったじゃない?」
「うん」
「あのときさ、めちゃめちゃ違和感でさ……」
「違和感?」
「いやぁ、レイバーと戦ってるときも、遊馬どこに行ったかわかんないことがさ……。不安……? 違和感……? いや、なんだかよくわかんないんだけどさ。なんか、こう、スッキリしないというかさ」
「なんだそりゃ。人を便秘みたいに」
「言い方!」
 真剣な話してんのにと、野明がキッと睨んだ。
「だからね! 遊馬が何してんのかとか、そういうのは全然気にならないんだけどさ、でも姿が見えないのは……なんか……なんか、すごい……えっと、ええっと、なんだこれ!?」
 喋れば喋るほど混乱していく野明が、昨日の自分と重なって思わず吹き出した。まだ整理できていない感情をそのまま晒すのが、いかにも野明らしい。
 だが、遊馬自身も気がついたのはつい昨日だ。
 やっと気がついた。
 遊馬は、呆れながら、気を揉みながら、苛つきながら、戸惑いながら、そんな彼女を――ずっと愛していた。
「ちょっと、笑うな!」
「いや、すまん。――だからこれ。やっぱおまえには、これ必要だって」
 そう言って冊子を差し出すと、野明は怪訝そうな顔をした。
「昨日の会議のじゃん」
「篠原が開発したHOSの拡張機能。これ載せたら相手の位置情報がわかるってやつ」
「聞いたよ」
「今おまえが欲してるもんじゃん?」
「ちっがーう!」
 あたしの話聞いてた!? と詰め寄られる。野明はまだ気がついていないが、そう間違ってもいない。
「いいと思うけどな」
「悪いとは言ってないよ」
 でも、なんか……うーん、と、また自分の感情を言語化できず腕を組んで考え込む野明を横目で眺める。あまり人のことも言えない。自覚はしたものの、この想いを彼女に伝えるつもりはない。
 なんとなく、今はまだ自分の中にしまっておきたかった。
 自分のためにも。彼女のためにも。
 きっと、まだ――時間はある。
「まあ、いいや。隊長も今日明日じゃないって言ってたしな」
 野明の前に置かれた資料を再び取って、パラパラとめくる。
「いつまで経ってもそんな風に思えなかったらどうすんだよ?」
 野明が不安そうに尋ねた。彼女なりに成長しようとしている証だろう。けれど、たぶん野明なら大丈夫だ。それに――。
「心配すんな。その気になるまで口説いやるから」
 遊馬は笑みを浮かべながら、冗談めかして受け負った。
「え?」
「ん?」
 みるみる真っ赤になる野明の顔に、自分が余計なことを言ったことを悟った。
「あ! いや違うっ! そういう意味じゃない!!」
 まだ駄目だ! 駄目だまだそれは!!
「わわわわ、わかってるよっ! コーヒー! コーヒー入れてくるねっ!!」
 バタバタと大きな音を立てながら、野明が部屋を走って出ていった。
「……」
 遊馬は、野明が慌てて出ていった扉を見つめたまま大きく息を吐いた。
 誰もいなくなった部屋で、野明が座っていた安物のオフィスチェアがくるくると回る。
 その椅子が、なんだか右往左往して目を回している野明自身のようだ。
 
 それを片手で止めながら――篠原遊馬は可笑しそうにひとりで笑った。

 

 

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