飽きることなく雨が落ちる
強く、強く
我先にと降り注ぐ
地上を叱咤するように
強く
強く――
「たいちょうっ! 自分は納得できませんっ! これじゃあ我々は踊らされたようなもんではありませんかぁぁっ!」
「だって……そういうことになちゃったんだもの。血気盛んなのはいいけどさぁ、もちっと落ち着けや。お前さんはきちんと命令通りに任務を遂行したんだし。ねえ?」
目を血走らせながら憤慨する太田をなだめる後藤の口調はいつもと何も変わりはなかった。
「はーいはい、みんな帰りますよー。篠原ぁ、俺はちっと残ってお仕事があるからさぁ。あと頼むわな。太田のこともよろしく」
憤る太田の前に両手を掲げながら、後藤は指揮車脇で引上げ作業を淡々とこなす篠原遊馬巡査に向かって告げた。
たいちょぉぉぉ! と雄叫びを上げる太田を尻目に、踵を返してその場を立ち去る。
「……了解」
簡素な返事をして、遊馬は後藤の指令どおりに機器系統の終了作業及び撤去作業を滞りなく続けた。
「野明、アルフォンスのバックアップデータは大丈夫か?」
近付いてきた野明の気配を感じて、顔を上げずに聞く。
「うん。もうディスクに落とした」
「そっか。よーし、こっちも大丈夫そうだな。――帰るぞ」
遊馬がわずかに声を強めて指示を出す。その指示に、ひろみと進士は了解と首を頷かせてキャリアに乗り込んだ。
「篠原ぁっ! 貴様このままおめおめと背中を見せる気かぁっっ!」
後藤に相手にされず、怒りのやり場を失った太田は、矛先を遊馬に変えて吠え立てた。
「あーっ、うるっさいっ! そんな怒ったってしょーがねーだろ! 誰がどう決着をつけようが作戦は成功したんだ! カタはついたんだよっ!」
遊馬も負けじと大声を出して、太田の怒りをかき消した。
「とにかく! 俺たちがここに残ってやることはもう無いのっ! 大人しくキャリアに乗れよ!」
――太田の憤る気持ちも理解できないわけじゃない。
カタはついたと言ったものの、自分だってそのことをきちんと受け入れられていない。
だが、彼のように怒りに代えて簡単に吐き出すことは出来なかった。
吐き出すまでいかなかった、といったほうが良いだろうか。
ザラついた納得できない気持ちはあるものの、それを吐瀉物として排出するまででもない。
そんな資格も無い。
事件の全容はいまだに不透明だ。そして、おそらく今後も解明されることはないだろう。解明するには、あまりにも多くの血が流れた。
流れすぎた。
もう「誰か」のせいにして終わらせられるような事件ではない。
それだけは何となく察せられた。おそらく後藤にすらも真相を開示されることはないだろう。
何故?
なんのために?
計り知れない事件だったことは何となくわかる。
何のためにあんな「生物」が生まれたのかは、自分には到底知ることは出来ないし、まして知ったところで理解もできないだろう。
ただ、自分の前に横たわっているのは「あの生物の脅威が無くなった」という事実だけだ。だったらその事実をあるがままに享受して喜んだほうがはるかに救われる。
深く考えることは無い――。
ザワリ。
心の奥底で、何かの感情が蠢いた。
だが、すぐに打ち消すようにそれを押さえつける。
――仕事だ。
「……」
ずぶ濡れになったバイザーを不必要なくらい目深に直しながら、もう一度奥歯に力を入れる。
そして深く息を吐くと、指揮車のドアに手をかけた。
白い指揮車の塗装に、雨音と喧騒に紛れて赤いテイルランプの光が写る。
警察、防衛庁。
そして、救急車。
――同じ赤い色なのに随分違う。
ふと見ると、野明が今しがたまで戦場だったスタジアムのほうを黙って見据えていた。
「野明、帰るぞ」
静かに再び告げる。
「……うん」
ひどく冷静な目で、野明は遊馬に従いくるりとひろみの待つキャリアを向いた。
「野明、……こっち乗れよ」
自然と口がついた。
一瞬、野明は小さく驚いた顔をしたが、うん、とすんなり助手席に乗った。
遊馬はひろみに目だけで合図した。
ひろみはにっこりと笑顔を返した。
雨が強い。
先ほどからまた強さを増してフロントガラスを打ち付けている。
この雨と交通規制で、まだ道路は渋滞していた。
このぶんでは二課に帰り着くのはまだまだ先になりそうだ。
遊馬は癖でコン、コンと人差し指でハンドルを叩いた。
助手席に座っている野明は、ずっと黙ったまま前を見ている。
「……何考えてるんだ?」
静かに聞いてみる。
先ほどからずっと野明は何かを考えていたようだ。
太田のように吐き出すこともせず、自分の中で何かを咀嚼している。
ゆっくりゆっくり、何かを噛締めている。
遊馬は野明の心の内を聞いてみたくて指揮車に乗せた。
「……別に。疲れたなって」
静かに応えが返る。
「そうだな。……雨だったしな」
雨音とワイパーの音だけが、耳に残る。
渋滞で完全に止まってしまった車の中で、均一な音だけが響いた。
「……それで?」
何気なく促す。
その問いに、しかし野明はきゅっと唇を噛締めただけだった。
出かかった言葉を懸命に抑えるように。
「……東京湾が、また元に戻って良かったよ」
暫くしてから、やっとそれだけを言った。
「……」
それも本音だろう。
少なくとも、自分たちはあの「脅威」を取り除くことに成功したのだ。
そして平和を取り戻した。
それは第一に喜ぶべきことだ。
だが、遊馬はその本音の先にもっと深い意味を探した。
いや――知っていた。
自分にもまた、同じ思いがあるのだから。
「誰も聞いてないぞ。言って楽になるなら言っちまえ」
立場や状況。
そして世論。
誰もが、知らず知らずにそんな実体の無いものに縛られてしまう。
縛られるのを、望んですらいる。
そして、その先の自分の中に湧き上がる、突き上げる自然な感情を抑えてしまう。
飲み込ませてしまう――。
「……言ったら、あたしすごいひどい人間みたいだよ」
野明は少し困ったように笑顔を返す。
「いいんじゃないか。それでも。――ただの一部だろう。お前の」
それが野明のすべてではない。
けれども、間違いなく野明自身でもあるのだ。
それを否定することは誰にもできない。
野明には――野明だけは、ほんの少しでも自分自身を否定して欲しくはなかった。
きゅっと、膝にきちんと置かれた両手を強く握り締めるのが視界の端に写る。
「――あの怪物を倒せて良かったと思ってるよ。後悔もしてない。亡くなった人たちや遺族のこと思うと当然だよね」
搾り出すように、声がする。
「……うん」
「本当に良かったなって思うんだ。あいつがいなくなって。あいつを倒せて。けど、けど……それでも……・それでも生きていた”もの”が死ぬのは……」
哀しい――。
その姿を目にするのは、哀しい。
「人」だからとか、「怪物」だからとかではなく。
良いか、悪いかではなく。
罪でも。
報いでもなく。
ただ。
ただ、「死」というものに対して憐憫の情が湧き上がる。
どうしても、それを抑えることが出来ない。
――「それ」を扇動した自分を含めた者達へのどうしようもない憤り。
確かに正しいことをしたのに、どうしてもつきまとう後味の悪さ。
確かに「脅威」ではあった「生物」
この世に在らざるべきもの。
忌むべき異端者。
それでも。
それでも、じゃあ、じゃあ……何故……なぜ、最期の「断末魔」はあんなにも悲痛だったのだろう。
あの悲鳴に、何故こんなにも心が痛むのか……。
――『それ』が、自分の責任ではないとしても。
誰の責任ではないとしても、『その行為』が目の前で行われた事実。
加担した事実。
そんなものに、野明は言いがたい嫌悪を感じているのだろう。
おそらく、そう。
自分も――。
「……そうだな」
たったひと言。
「うん……」
野明も、たったひと言。
それだけ返した。
――雨が、飽きることなく降り注ぐ。
強く。
強く。
その雨音は、まるで何かの咆哮のようにも聞こえた――。
あなたは――いるべきではないのです。
あなたが目の前に現れたなら、わたしたちは何度でもあなたを葬るでしょう。
何度でも。
あたなを傷つけるでしょう。
けれども。
それでも願わずにはいられません。
この雨が。
この雨音が、あなたを悼んで泣いているのだと。
この雨が。
この雨音が、あなたを生んでしまった、わたしたちを叱咤しているのだと。
願わずにはいられません。
そう願うことだけは。
許して欲しい――。







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