「……でね、結局マルクルは学校に通うことになったの。でも最初は本人はあんまり乗り気じゃなくって。そりゃあ、あの子はとってもしっかりした頭の良い子だけど、でもやっぱりある程度の知識は学校できちんと教わったほうが良いに決まってるでしょ? それになんといっても同じ年頃の友達は必要だしね。ハウルに言ったら『いいんじゃない?』ですって。もう、あの人ったらそんなこと考えもしなかったんですって! でね……」
ペラペラと淀みなく出てくるその言葉に、レティーは驚きと、ほんの少しの呆れを含めて目を丸くしながら聞いていた。
「あ、ごめんなさいね、私ばっかり話しちゃって。」
ソフィーははたと気がついて口を押さえる。恥ずかしそうに肩をすくめると、肩の辺りでそろえた髪がサラサラと流れた。
その髪も、レティーが見慣れた茶色ではなく、見事としか言いようの無い美しい銀に染まっていた。
「ううん、いいの。姉さんのこともっと聞かせて。」
レティーは優しく笑う。
こんな姉を見るのは本当に久しぶりだった。
<がやがや広場>にあるカフェ・チェザーリ。
そこの看板娘であるレティーは、彼女の大切な姉が来ると、いつもそうしているように厨房脇の在庫置き場に場所を見つけて座っていた。辺りにはチョコレートとバターの甘い匂いが充満していてとてもいい匂いだ。
いつもと変わらない光景。
その匂いのもとを作っている職人たちが、仕事の合間にちょろちょろと在庫置き場を盗み見たり、話しかけてきたりしてレティーがそれをまたお得意の愛想の良さでサラリとかわす。
それだっていつもとなんら変わらない、お決まりの風景だ。
だが、唯一変わったことがある。
職人たちの視線の大部分が、レティーではなく一緒に座っているソフィーに向けられるようになったことと、主に話す人間が、自分ではなくその姉になったことだ。
それは、劇的な変化といってよかった。
姉には、ついこの間までの萎縮した頑なな表情はもう微塵も無い。
まるで魔法にでもかかったかのように、娘らしくほんのりと頬を染めている。
本当に、昔の姉さんが戻ってきたみたいだわ。
レティーはソフィーを見つめながら、ふと学校に通っていた頃のことを思い出す。
姉は昔から優等生だった。
学校の成績はいつも一番だったし、運動もよく出来た。出来なかった逆上がりを根気よく教えてもくれたし、癇癪を起こした自分をたしなめてくれたのはいつもソフィーだった。
それに、なんと言っても姉は綺麗だった。
レティーのように誰にでも愛想を振りまくような性格じゃなかったから、表立ってモテたりはしなかったけれど、その分姉さんを好きになる男の子は本気だったわ。
実際、姉を五月祭に誘おうと勇気を振り絞っている男の子をレティーは何人か挙げることが出来る
多分、知らなかったのは本人だけだろうけど。
あの頃は姉さんだってよく笑っていたし、ふたりで他愛も無いふざけあいっこもしていたのだ。
――それが変わったのはいつの頃からだろうか。
おそらく店が傾きだした頃からだったように思う。
父が死ぬ数年前から、家業の帽子店は徐々に、だが目に見えて衰退していった。
誰のせいでもない、きっとそういう時期だったんだろう。
だがソフィーはそのことにとても心を痛めていた。
そして、父の死。
華やかだけれど、経営については父に任せっきりだった母。そんな母と残された従業員を目の当たりにして、ソフィーは全てを背負い込んでしまったのだ。
姉さんだって、帽子屋のことなんてなんにも知らなかったのに……。
レティーはこれ幸いと全てを押し付けた母が嫌いだったし、それを甘んじて受けた姉をも歯がゆく思った。チェザーリに会いに来るたびに心が萎えていく姉を見て、心配するどころが怒りすら覚えたこともあった。
そんなふたりを見ていたくなくて、レティーはチェザーリに来てから一度も実家に帰ることはなかった。
生きたまま死んでいるような姉を心配しながら、手を差し伸べようとも思わずに……。
「さあ、本当に失礼しなくちゃ」
ソフィーはそう言うと空の木箱から軽やかに立ち上がる。
「あら、もう?」
レティーもはっとして慌てて立ち上がる。
「うん、お夕飯の支度もあるし。ごめんなさいね、休憩の時間を潰しちゃって」
「なに言ってるのよ、いつでも来て」
「ありがとう」
ソフィーは嬉しそうに振り向く。ソフィーの胸元で、茶色の紙袋がカチャカチャと音を立てた。
「それ、なあに?」
「ああ、これ? 食器よ。今日はこれを買いに出てきた帰りだったの。だってあの家ってばまともに揃ったカップもないの。この間までお茶もお茶碗で飲んでたんだから! 信じられる?」
ソフィーはそう言いながらもおかしそうに笑った。
レティーはそんな姉を眩しそうに見つめる。
その笑顔は、毎日肩を並べて学校に通っていたあの頃と同じだ。
「ねえ……あたし、今度一度姉さんの家に行ってもいいかしら?」
レティーはふと思い立って聞いてみる。
「わあ、ほんと? ぜひ来て! 昔とはちょっと中身は変わっちゃったんだけど、でも中庭とかは一緒だから」
「お店も?」
「お店もよ。もっとも、あそこは何も変わってないの。」
「じゃあ、あたしの背丈の印も残っているかしら?」
昔、ふたりでどちらが背が高いかを競い合って、店舗の大黒柱に印をつけて父にうんとしかられたことがあった。
「ええ! もちろんよ。今はマルクルが新しい傷をつけてるわ」
ソフィーは愛しそうに笑った。そんな姉を、レティーはぎゅっと抱きしめる。
「なあに、どうしたのレティー?」
「別に。ただ、ありがとう……」
「何が?」
ソフィーはきょとんと見つめる。レティーは泣きそうになるのを笑ってごまかした。
「じゃあね、あたしきっと行くわ」
「うん、待ってる」
きっとよ、とソフィーは念をおして帰っていった。
その後ろ姿をレティーはずっと見つめ続けた。
「なあレティー、あの可愛い娘さんはあんたの新しい友達かい?」
先ほど厨房でずっとソフィーを見てソワソワしていた職人見習いのフランクが近寄って聞いた。
「何いってんの、姉さんよ」
「姉さん? 君、他にも姉さんがいたのかい?」
「いるわけないでしょ」
「ええ⁉ じゃあ……」
フランクは目を丸くしてレティーをまじまじと見つめる。
「諦めるのね。今さら好きになったって姉さんは振り向いちゃくれないわよ」
レティーはにっこりと、だが容赦なくフランクに事実を突きつける。
「そんな、オレは……」
フランクはもごもごと口ごもる。良い薬だ。彼は以前からソフィーが来るたびに「引き立て役のお姉さん」と陰で笑いものにしていたのだから。
レティーはすまして彼の前を通りすぎてから、たまらずにくすくすと笑った。
本当にねえ、恋人が出来たらモテ始めるなんて変な話。でも姉さんらしいわ。
レティーは次の休みに姉を訪ねようと心に決めた。姉にも会いたかったが、なによりハウルに会いたかった。
会ってお礼が言いたかった。
若い娘をさらっては心臓を食べると言われていた魔法使い。きっと、ある意味本当なんだろう。
だってハウルこそ、姉の死んだ心を食べてくれたに違いないのだから。
レティーは鼻歌を歌いながら売り場に続く階段を駆け下りる。
それは歌声のようでいて、誰かに宛てた優しい祈りのようにも聞こえた。
あの家が、また笑いに包まれた家であればいい。
あたしと姉さんが笑って過ごした、あの頃のように……。
end.






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