2023-11-14

ヒアシンスと苺と悪魔 05

 マルクルの頬を秋の風が通り過ぎた。
 日は既に頂上から西へ傾きだしている。目の前に広がる町の中心部にある大きな時計塔が三時過ぎを指していた。
 ずいぶん長い間ここにいた。風に吹かれていると、少し肌が粟立っている。
 マルクルは手すりにつかまりながら、ぼんやりと眼下の町並みを見つめた。
 小さな家々の屋根が、傾きだした日に反射して少し目が眩む。
 まるで海面に照り返す光のようだ。
 ちょっと前なら、今の時間はハウルさんに出された宿題とか、護符に簡単なまじないをかけている頃のはずだ。
 けれど、今は……。
 マルクルは、ふうっと大きなため息をつく。
「ため息ばっかついてると幸せが逃げるってソフィーが言ってたぞ」
 展望台の手すりにつかまってうなだれていると、上から思いがけない声がした。
 驚いて見ると、空の向こう側から青白い物がふいよふいよと漂ってきた。と、地面からもヒン、ヒン、と聞きなれた声がした。
「カルシファー、ヒン! なんでここに?」
「ヒンが探してくれたんだ。お前朝ちょっとおかしかったろ? ソフィーが心配してたぜ」
 ヒンも「ヒン、ヒン!」と嬉しそうに吠えた。
「僕、おかしかった?」
「おかしいだろ。学校もサボったみたいだし」
 カルシファーは青白い炎を出しながらマルクルの肩にとまった。その炎は全然熱くなく、むしろほんのりと暖かくてマルクルの体を温める。
 ソフィーがハウルとカルシファーにかかっていた呪いを解いたおかげで、カルシファーは自由を取り戻していた。
「ばれちゃったか」
「ま、おいらもサボってきたんだけどな。ばあちゃんにポプリのまじないを吹き込むよう言われてたけどヤだから逃げてきちまった」
 カルシファーはへへんと笑った。
「おばあちゃん怒るよ」
「構うもんか! 大体魔法をかけるのはいっつもおいらでさ! 少しはハウルにもやらせりゃいいんだ!」
「ハウルさんはソフィーと一緒にお店に出てるじゃないか」
「ソフィーと一緒にいたくてな! だからヤなんだ、あれは好きでやってるんだもん」
 カルシファーはふん! とそっぽを向いた。マルクルは苦笑した。
「それよか、お前はどうしたんだよ? 学校嫌いなのか?」
「別に嫌いじゃないよ。ただ、風があんまり気持ちが良かったから」
 ちょっと昔を思い出してたんだ、とマルクルは笑った。
「ねえ、覚えてる? 僕達が初めてあったときのこと。僕が呪いをかけられて、ハウルさんが二千足の靴を作ることになっちゃってさ」
「ああ、あの時か……」
 カルシファーも笑った。

 ――結局、ちゃんと呪いが解けたのはあれから半年以上経ってからだった。
 二千足もの靴を作るのはマルクルが思っていた以上に骨の折れる仕事らしかった。けれど半年の間というもの、ハウルは毎日二時間の風呂と食事と睡眠以外は、七リーグ靴やマルクル達が勝手に注文を受けた品物を作るのにかかりきりになってくれた。
 カルシファーはそんなハウルを見て「天変地異だっ!」と騒いでいたけれど、マルクルにはそうは思えなかった。
 だって彼はいつも優しい。
 大切なことは何ひとつとして言いはしないけれど……。
 本当に、ハウルには感謝してもし足りない。
 彼と出逢ってなかったら今の自分は無かった。そんなハウルの力に少しでもなろうと、その日からお客の対応は全てマルクルが担当した。やっぱり最初は失敗も多くて、師匠が作った商品を駄目にしてばかりだった。けれどハウルは決して怒ることはなかったし、呪いが解けてからは少しずつ簡単な魔法も教えてくれるようになった。
 マルクルに魔力があるというのは、本当だったらしい。最後のほうには風の護符などは自分ひとりで作れるようにもなっていた。
「時々さ、あの頃は良かったなって思うんだ」
「なんで? 今は?」
 マルクルは、うーんとうなるだけだ。ヒンが心配そうにマルクルを覗き込んだ。
 ハウルたちと生活し始めて数年後、突然の訪問で全てが変わった。
 ソフィーを初めて見た時、なんて図々しいおばあちゃんなんだろうとマルクルはすごく呆れた。扉が開けられるのをただ待っていたマルクルとは違い、勝手に上がりこんできた。
 でも、すぐカルシファーとも打ち解けて、料理を作ってくれた。
 その卵とベーコンのなんて温かかったこと!
 ソフィーは本当はおばあちゃんではなく、若い女の人だというのはカルシファーがこっそり教えてくれた。それも、ハウルさんがずっと探していた人だということも。ハウルさんが好きな人がソフィーでよかったと心から思う。彼女はマルクルがずっと欲しかったものを持ってきてくれた。
 でも……。
「お前、もしかしてソフィーが嫌なのか?」
「まさか! そんなはず無いよ!」
 マルクルはぶんぶんと大きく頭をふった。
「ソフィーのことは大好きだよ! でも……」
 マルクルは言葉を濁した。
「でも、時々思うんだ。僕このまま、ここにいていいのかなって……」
 ――ソフィーは、マルクルがずっと欲しかったものをくれた。
「家族」のような空気。
 父さんと母さんが死ぬ前のような、あの何ともいえない日々。
 幸せで、嬉しくて暖かくて。
 けれど、今はそんな生活にどこかで違和感も感じるのだ。それは、ただ、守られてぬくぬくと生きているだけじゃないのかと。
「前はさ、ハウルさんの弟子として少しでもお役に立ててると思ってた。でも今はさ、ソフィーもカルシファーもおばあちゃんも、みんなちゃんと働いてるのに僕だけだもん、遊んでるのって」
「お前だって皿洗いとか洗濯とか手伝ってるじゃないか」
「そりゃね、でもそれは当たり前の家の手伝いだし。第一、ハウルさんのお役には立ててないじゃないか」
「つまり、お前はハウルに恩返しがしたいのか?」
「うん……実はそう。本当はね、魔法をもっと習って、一人前の魔法使いになってハウルさんのお手伝いがしたいんだ。でもソフィーはまず今しかできないことを学んで欲しいって言うんだ。学校に行ったり宿題をしたり友達と遊んだりさ」
「急いで大人になる必要なんか無いのよ。何がしたいのか、ゆっくり考えて?」
 ソフィーはそう言ってくれた。自分が何をしたいのか分からずただ流されて生きていたから、マルクルにはそうなって欲しくないわ、とも。
 そしてハウルも。
 ソフィーたちのそんな顔を見ると、マルクルは何も言えなくなるのだ。
 普通の家で、普通の両親がいる子供ならそれでも良かったろう。けれど……。
「でもさ、僕なんてハウルさんの弟子じゃなくなっちゃったら、あの家では何なんだろうって思うんだ。そりゃ、最初は成り行きだったかもしれないけれど、それでも今までずっと弟子として置いてもらったんだもん」
 それが、弟子で無くなったら、一体自分は……それを思うと、マルクルは怖くなった。
 急に足元から地面がなくなってどこかへ落ちていくような感じだ。
 ヒンが心配そうに一回鳴いた。
 だがカルシファーは、馬鹿馬鹿しいとでもいうように呆れた顔をした。
「そんなの、ハウルやソフィーに直接言えばいいじゃないか」
「言えないよ、ソフィーだって僕のことを思って言ってくれてるんだし、それに……」
「それに?」
「……」
 それに、そんなことを言ってもし嫌われたら……マルクルはその方が怖かった。
 マルクルはもうひとつため息をついた。
「まったく! お前ってば全然変わらないんだから!」
 そのとき、カルシファーがうんざりした声をあげる。
「な、なんだよ」
「そうやってなんでも言いたいことを呑み込んでさ! それで誰が喜ぶってんだよ⁉」
「でも! そんなこと言ってもし嫌われでもしたら……」
 マルクルはうなだれた。
「そんなことないってば! 少なくとも、おいらは学校サボってそんなところでグチグチしてるやつよりは、はっきり言う奴のほうが好きだね。ソフィーだってハウルだってそうに違いないぜ!」
「そうかなぁ……」
「そうさ! まあ、でもハウルはお前が魔法使いにならなくても気にしないとは思うけどね」
 カルシファーはマルクルの手から空にふわっと浮かんで言った。
「なんでさ?」
 マルクルは手すりから身を乗り出してカルシファーに近づく。カルシファーはそんなこともわかんないのか? といった表情でマルクルを見下ろした。
「ハウルは、お前が思ってるよりずっとお前のこと想ってるからさ」
 もちろんおいらもね! とカルシファーは炎を大きくする。
「お前はチビにしちゃ頭が回るほうだし、よくやってるよ。ソフィーだってハウルだって皆お前のことが大好きなんだ。大好きな奴に恩返しとか、そんなことしてほしいなんて考えもしないよ」
そうだろ? とカルシファー。
「だからさ、そのお前が『おいらたちに嫌われたら』なんて悩んでるのはヤだな」
 そんなの悲しいよ、カルシファーはマルクルの視線まで降りてきて、訊ねるように笑った。
 マルクルもつられて笑う。
「――僕って、いつもカルシファーに助けられてるね」
「そりゃあね。お前はハウルとおいらの恩人だからな」
「僕が?」
「そうさ。ハウルはお前のお陰で、ソフィーに会うまで人間らしさを失わないでいられたんだ。ハウルは無茶な奴だから、あのままだったらきっとソフィーに会う前に魔王になっちゃってた。でもお前がずっとハウルの側にいてくれたからさ。お前の呪いを解いてやらなくちゃとか、お前に呪文を教えてやらなくちゃとか、お前の服を買ってやらなくちゃとか。すごく些細なことだけど、ハウルにはそういう風に考えて生きてことがすごく大事だった。あいつは何よりもそういう心に欠けた奴だったからさ。お前にもハウルが必要だったように、ハウルにもお前が必要だったんだよ」
 まあ、元がああだからわかんないかもしれないけどさ、とカルシファーは笑った。
「……ううん」
 マルクルは頭をふる。
 知ってる。
 彼の優しさは、誰よりもマルクルは知っていた
 マルクルはずっと、もう何年もあの優しさに包まれて生きてきたのだから。
 彼があの扉を開けてくれたときから、ずっと――。
「……ねえ、カルシファー、僕にポプリのまじないって簡単?」
「え? うん、まあ初歩的な魔法だよ。お前が作ってた風の護符くらいかな」
 カルシファーは思い出すように答えた。
「じゃあさ、僕にその魔法教えてよ」
「そりゃいいけど、お前がやんのか?」
「うん、やってみたい」
 そして、上手く出来たらソフィーに話してみよう。僕は魔法が習いたいんだって。
「ソフィーの言うとおり他にも道はあるのかもしれないし、色々見なくちゃいけないこともあるのかもしれない。でも、僕はやっぱりハウルさんに魔法を教えてもらいたいんだ」
 よっと、とマルクルは手すりからひょいっと降りて伸びをした。
「だから、とりあえず今出来ることから頑張ってみる。自分から手を伸ばさなきゃ、何も変わらないもんね」
 マルクルはカルシファーに向かって晴れ晴れとした顔で笑った。カルシファーも嬉しそうにぽっぽっとひとつ火花を散らす。
 その光が、傾いた太陽と反射してキラキラと輝いた。
マルクルはその方向に向かってひとつ大きく息を吐くと、家に向かってタッと勢いよく走り出した。

「ただいま!」
 花屋の扉を勢いよく開けると、カランカランと頭上の鐘が響いた。扉を開けた途端、花のいい香りが鼻腔をくすぐった。店の中は目にも鮮やかな色とりどりの花々が、季節に関係なくさざめきあっていてとてもいい匂いだ。だが、その匂いの中に混じってここには無い花の香りがマルクルの前に漂った。
「やあ、お帰り」
 そう声をかけたのは、マルクルの予想と反して金色の髪と少し低い声。彼は、いつものヒアシンスの香りを漂わせながら、大きな花の束をよいしょっとテーブルに置いた。
 ハウルだった。
 彼は朝と同じ金の髪を後ろでひとつに束ねて、シャツ一枚のラフな格好だ。ご丁寧にエプロンまで着ている。
「ハウルさん……何してるんですか?」
「何って、店番」
 彼はひーふーみー、とテーブルに置いた花束を小分けにして目でその本数を数えながら綺麗に籠に並べる。
「王都に行ったんじゃないですか?」
「んー? 行ったよ。でも、早く終わったんでこうして店を手伝ってるのさ」
「ソフィーはどうしたんだよ?」
 カルシファーも不思議そうに聞いた。ソフィーが店にいないなんてあまり無いことなので当然だった。
「奥で夕飯の準備をしているよ。もうそろそろ閉店だしね。それより、カルシファー」
 ハウルはマルクルの後ろでふよふよと浮いていた悪魔をじろりと睨んだ。
「お前ポプリのまじないをサボったな?おかげで僕が怒られたんだぞ」
「いいじゃないか! 面倒なことはいっつもおいらにやらせてさ! おいらだってタマにゃ自由が欲しいんだ!」
「それ以上自由になってどうするんだ、火の玉親分?」
「もっともっとだね! だいたい……!」
「あの、それでポプリはどうしたんですか?」
 白熱するカルシファーの小言を制して、マルクルはハウルに聞いた。
「僕がやったよもちろん。マダムをこれ以上怒らせたくなったからね」
 ハウルはカルシファーを睨みながら答えた。
「そうですか……」
 せっかくポプリのまじないを覚えて、ソフィーやハウルに認めてもらおうと思ったのに。マルクルはがっかりと肩を落とした。
「どうしたんだ、マルクル?」
 ハウルがひょいっとマルクルの目線まで腰を折って覗き込んだ。
「いえ……なんでもないです」
 マルクルはそのままとぼとぼと下を向いて奥へと続く階段を降りた。
「どうしたんだ?」
「知らないねっ!」
 カルシファーはそう捨て台詞を吐くと、ヒンと一緒にマルクルを追いかけた。後に残されたハウルは、ひょいっと肩をすくめて、そのまままた花を数え始めた。
 奥の馴染み深い扉を開けて階段を登ると、魔女が「お帰りと」笑って言った。暖炉の前でジャガイモを剥いていたソフィーも笑顔で迎える。
「おかえりなさい今日は遅かったのね。あら、カルシファーとヒンも一緒だったの?」
「散歩の途中で一緒になったんだ」
 カルシファーがやれやれと定位置の暖炉に戻りながら適当に答える。嘘は言ってないが、本当のことでもなかった。だが、さすがに悪魔だけあって悪びれた様子は少しも見えない。カルシファーは今まで燃えていた炎をあーんと大きな口で飲み込むと、その炎と一体になって薪の上に腰を下ろした。
「助かるわ、やっぱりあなたの火が一番ですもの」
 何も知らないソフィーは嬉しそうにカルシファーにもう一本薪をくべる。カルシファーはその言葉に気を良くしたようで、サービスとばかりに大きく炎を揺らした。マルクルは背負っていた鞄をどさりとテーブルに置いてそのやりとりをうらやましそうに見つめた。ヒンが、まるで猫のようにマルクルの足に絡みついてエールを送る。マルクルはその頭をヨシヨシと撫でた。
「どうしたい? 元気が無いね」
魔女が不思議そうにマルクルを見る。
「ううん、別に。大丈夫だよ」
 マルクルはブンブンと頭を振って無理に笑顔をつくった。
「マルクル、今日は学校楽しかった?」
「うん……まあまあ」
 マルクルは、小さくそれだけしか答えられなかった。
 先ほど公園で貯めた勇気が早くもしぼみそうだった。やっぱり魔法で恩返しするなんて諦めたほうがいいんだろうか。そっとため息をついたとき、扉が軽やかに開いて、ハウルが帰ってきた。
「ああ、ごめんなさいねハウル、全部任せちゃって。ありがとう助かったわ」
 ソフィーがすばやく近寄ってその腕にそっと手を乗せていたわる。
「いや、このくらいなんでもないよ。それにしばらくは手伝えなくなるしね」
 ハウルはその手を優しく握りながら、ソフィーの頬に軽くキスをした。
「なんでだよ?」
 カルシファーが薪をむしゃむしゃと頬張りながら不思議そうに聞いた。
「サリマン先生から頼まれた仕事があってね」
 ハウルはやれやれといた表情でため息をついて、椅子の背もたれに手をかける。
「サリマンってマルクルをひどい目にあわせたお前の師匠だろ。 なんかまた無理言われたのか?」
「なあにそれ?」
 ソフィーがぎょっとしてマルクルを見た。だが、「昔のことだよ」とマルクルは笑って安心させる。
「無理というか……まあ、一言で言うと植樹の仕事だね。戦争は終わったけれど、あちこちの山や森がたくさん焼けてしまっただろう。その焼け跡に木や花を植えて緑を元に戻すのさ。魔法ですこしばかり成長を助けながらね」
「まあ、じゃあ緑が早く元に戻るのね? 素敵なお仕事じゃない、それにあなたにぴったりだわ。うちの花たちはお客様にすごく評判がいいんですもの!」
 ソフィーは嬉しそうに微笑んだ。
「口で言うよか骨の折れる仕事だけれどね」
 魔女がテーブルに肩肘をついてにやりと意地悪く笑った。
「そうなの?」
「そりゃそうさ、大地の魔法は一番難しいんだもの。花でも木でも、一応は生命を操る魔法でもあるしね」
 魔女は得意げに話す。ソフィーは心配そうに夫を見上げた。ハウルは少しだけ肩をすくめる。
「まあちょっとだけね。でも国中の魔法使いは優先してこれに当たるように、と国王のお触れが出るから僕一人でやるってわけでもないし。僕はよっぽど先生に信頼がないらしくて、直々に呼び出されたんだけどね」
 ハウルはソフィーに優しく笑った。
「国中の魔法使いねぇ……、まあ大変だこと」
 元・魔女が皮肉たっぷりにハウルを見て言った。
「マダムもどうですか一緒に?」
「い・やっ! サリマンの手伝いなんて冗談じゃないわ、魔力がなくなって良かったこと!」
 魔女はふん! とそっぽを向いた。ハウルとソフィーは目を合わせて苦笑する。
「でもインガリーと、それに条約で隣国の土地にも少し手を入れるから忙しくなりそうなんだ。だから店はちょっと手伝えなくなるかも。春になったら家を空ける日もあるかもしれないしね」
「旅に出るの?」
「隣国まで足を延ばせばそうなるだろうね。城はインガリー国内でしか動かせないし、土地の状態もよく見たいからね。まあそんなに長くはかからないと思うけど」
「そうなの、大変ね」
 ソフィーは、自分のことのようにふうっとため息をつく。
 すると、ずっと黙っていたマルクルが意を決したように声を出した。
「僕、その旅について行っちゃ駄目かな?」
その言葉に、場にいた全員が驚いてマルクルを見た。
「あなたが? でも……」
 最初に声を出したのはやはりソフィーだ。彼女は困惑したような顔でマルクルを見た。マルクルはぎゅっと拳を握った。
「わかってる。でも僕行きたいんだ。何も出来ないのは知ってる、僕はまだ使える魔法なんてほんの一、二個だし。でも……」
「いいんじゃない?」
 マルクルが全部言う前に、ハウルがそう言って笑った。
「ハウル⁉」
 ソフィーは驚いてハウルを見上げる。
「別にかまわないだろう、魔法を勉強するにはぴったりだし」
「男には学校よりも大事なこともあるからね」
 魔女もそっと呟くように同意した。
「もう、みんな! だって学校はどうするのよ?」
 ソフィーは両手を腰に当てて困ったように口を三角にした。
「ごめんねソフィー、ソフィーの気持ちはすごく嬉しいよ。でも、僕は魔法を習いたいんだ」
 マルクルはソフィーのそばに寄って謝った。けれど、どうしても許してほしい。折れるつもりも無かった。
「学校が休みのときに合わせて行くさ。それならいいだろう?」
 ハウルもソフィーの隣で助け舟を出す。ソフィーはしばらく「ん~っ」と考えながらマルクルを見つめる。それは、ハウルに初めてあったとき、彼が見せた瞳と同じだった。
 マルクルもその瞳をしっかりと見つめ返す。
「……しょうがないわねぇ」
 やがてソフィーはふうっと大きくため息をついて降参のポーズになった。
「行っていい⁉」
「いいわ。その代わり、学校の宿題とかもちゃんとやるのよ。『忘れてました』は無しですからね?」
 いい? とソフィーはマルクルと指きりをして約束させる。
「もちろん!」
 マルクルは大きな笑顔でその指をきった。
「さあ、じゃあご飯にしましょう。今日はデザートも作ったの。マルクル、悪いけど棚からケーキを出して」
「うん!」
 マルクルは小走りに食器棚まで行くと、棚を開いて中にあったケーキを取り出した。と、マルクルはそのケーキを見た途端、はっと表情を変えた。
 そこにあったのは、あの、以前ハウルが買ってきてくれた苺のケーキと瓜二つのケーキだった。
「ソフィー! これ……」
「うん? ああそれ? 今日作ったのよ、結構上手く出来てるでしょ?」
 ソフィーはカルシファーの上でジャガイモを炒めながら笑った。
「でも……」
どうして、と聞こうとして言葉が出なかった。彼女が知ってるわけ無いのに……。
 けれど、その形も、おいしそうな苺も何もかもそっくりで。まるで一面に敷き詰められた大きくて甘そうな苺が、こちらを見て笑っているようだ。
「ハウルが王都へ行った帰りに苺をたくさん買ってきたのよ。で、彼のリクエストで午後を丸々使って作ったの。どうしても苺のケーキが食べたかったですって。ね?」
 ソフィーがと、テーブルの向こう側でハウルに同意を求めるように見た。だが、ハウルはそれには答えず、ただマルクルを見てくすりと笑った。
「……」
 マルクルはきゅっと胸が締め付けられた。
あの日、ハウルが自分を受け入れてくれた日の光景が、マルクルの胸の内に蘇って熱いものがこみ上げてくる。
 ――ハウルはいつから知っていたんだろうか。
 自分の中の口に出来ない葛藤を。
 ああ……、どうしてこの人は。いつも自分が本当に欲しいものをこうもすんなりとくれるんだろう。
「……僕、いっぱい頑張らなくっちゃなぁ……」
 マルクルは泣きそうになるのを懸命に堪えて、とびきりの笑顔を作ってハウルに微笑んだ。
「期待してるよ」
 ハウルは穏やかに笑うだけだ。
 マルクルはこくりと大きく頷く。その瞬間、堪え切れなかった涙が一粒だけぽとりと落ちた。
 ――カルシファーは、マルクルがハウルの恩人だといった。
 だが、それならばマルクルにとってはハウルは自分の存在そのものだ。どうしたら彼に恩返しが出来るんだろう……。
 それは、まだマルクルには分からなかった。けれど必ず見つけよう。そしていつかありったけの感謝と共に返すんだ。
 マルクルは静かに、だがしっかりとその想いを心に刻んだ。
「さ、出来たわ! マルクルも席について」
「うん」
 マルクルは目頭を袖の端で拭くと、ケーキをテーブルの中央に置いた。
 ソフィーが重そうなフライパンを持ってテーブルの皿に盛り付けていく。今日の夕飯はハッシュポテトと野菜のスープだ。
「ごめんね、今日は簡単になっちゃたけど。お腹が空いたらケーキで我慢してもらうしかないわね」
「あらでも美味しそうじゃないか」
「おいらイモが欲しい」
「ヒン!」
 魔女と悪魔と犬も嬉しそうに食卓に着いて取り皿やフォークを回していく。もちろん、マルクルもとびきりの笑顔でいつもの席に着いた。
「大丈夫さ、家族全員が揃って食卓を囲む、これ以上の贅沢はないからね」
 ハウルはしたり顔で皆に微笑んだ。
 そして優しい、穏やかなヒアシンスの香る部屋の中央で、両手を挙げて、あのいつもの言葉で締めくくる。

「さあ諸君、いただこう――」

 

end.

 

 

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