ある晴れた日のことだった。
「今日は天気もいいし、みんなでドッグパークにでも行きませんか?」
ロイドさんがそう提案してくれた。
「わーい! ボンドさんぽー!」
朝食を食べ終えたアーニャさんが喜んでボンドのところに走っていく。
「よろしいのですか? 昨日もかなりご帰宅が遅かったようですが」
私は珈琲のおかわりを渡しながら彼に尋ねる。
彼は昨日、いやもう今日だったが、かなり帰宅が遅かった。確か帰りは深夜二時を回っていたと思う。私もアーニャさんもすでに寝室に引きあげていたけれど、ゆっくりとした足音が寝室の外から聞こえて目が覚めた。
彼の部屋は私の部屋の隣で、丁度私のベッドの頭の部分の壁が彼の部屋と接している。彼は普段からかなり気配が静かだけれど、帰宅が深夜になる時にはよりいっそう気配を殺して帰ってくる。
私は裏の仕事の関係でどんな気配でも起きてしまうが、そうでなければ気がつかないだろう。
扉の蝶番がゆっくりきしむ音。
カバンを床に置く音。
いくつかの衣擦れの音。
そして深いため息。
そんな音が連続的に聞こえてから、また夜の静寂が戻ってきた。
そして今は朝の八時過ぎ。
七時すぎに起きた頃には、彼はさっぱりとした顔で既にキッチンで朝食を作っていた。
カリカリのベーコンとソーセージと、各自の好みに合わせた卵料理。
アーニャさんはオムレツで、私にはスクランブルエッグ、彼自身はフライドエッグが定番だ。
私は彼の隣でサラダを作る。とはいえ、私に出来るのはレタスを千切って各自の皿に入れるだけだけれども。
彼はそんなことすら悪戦苦闘している私に、手を動かしながら今朝の朝刊のダイジェストを教えてくれる。
天気、トップニュース、政治、経済、事件など。
正直、頭の悪い私には天気とトップニュースくらいしか理解は出来ないが、彼は誰かが聞いてくれると自分の頭の整理になって良いと笑ってくれる。聞くと朝6時前には起きて、新聞を全部読むという。しかもその前に必ずストレッチをしているというから驚いた。
ともかく、彼には睡眠がまったく足りてないと思ったのだ。休日はゆっくり過ごして欲しかった。
「大丈夫。ボクは元々あまり寝なくても平気なタイプで。逆にだらだらと寝ていられないんです」
「それなら、良いのですが」
「本当に大丈夫ですよ。でも心配してくれてありがとうございます」
「いえ……、私はこんなことしか出来ませんし……でも、本当にご無理なさらないでくださいね」
「ありがとう。肝に命じます」
ふふふ、とお互い笑っていると、しびれをきらしたアーニャさんが「ちち! はは! ラブラブしてないでさっさとよういするます!」
と叫んできたので、
「してない」
「してません」
と定番のセリフを言って、またふたりで目を見合わせて笑った。
ドッグパークは風が吹き抜けて気持ちが良かった。
アーニャさんはボンドと夢中で駆けていき、たまに転んでそれでも笑っていた。
「走るより、転んでるほうが多そうだ」
ロイドさんは呆れながらもどこか楽しげだ。きっと、愛娘の成長と笑顔が彼の表情を作っているのだろう。
「ボクたちもどこかで座りましょうか」
彼はそう促して私にも気を遣ってくれる。ちょうど木陰になる場所にベンチがあったので、そこに並んで腰をおろす。
こういう時、私と彼はあまり話すことがない。
彼は生来静かなタイプらしいし、私も口が達者なほうではないので。
けれど、ふたり揃って同じ景色を見ているこの時間が、なにより好きだ。
視線の先にはアーニャさん達の他に、大小様々な犬達がリードを外され自由を満喫していた。
不思議と、こういう場所で犬同士の小競り合いはあまりない。普段の散歩では、すれ違いざまに唸ったり威嚇されたりすごいのに。きっと楽しいことが多過ぎて他のことになんてかまってられないのだろう。
「楽しいことだけ考えていればいいのに」
埒もないことがつい口に出る。
己の利益ということでなく、全員がこのパークにいる人たちのように風景を眺め、大切な家族と語らい、そして笑いあっていられれば。
もう二度と、あんな争いなんて起こらないはずなのに。
――私が暗器を持つこともなかったかもしれない。
自分の仕事に誇りは持っている。けれど法を犯しているという認識はある。誰に話せないこともある。
そんなことが少しだけ息苦しい。
彼がこちらに視線を向けた。彼には言っていることが分からないのだろう。
「すみません」と取り繕おうとすると、彼は正面に向き直ってただ、「そうですね」と言った。
彼の表情は帽子で見えなかったが、少しだけ私の荷物を持ってもらったような……そんな気がした。
「それがなかなか難しいのでしょうけどね」
どこか寂しそうに彼は言う。
私も正面を向いて「そうですね」と同じ言葉を返した。
「それにしても、蒸し返すようですが、ロイドさん少し働きすぎではないですか? アーニャさんも寂しがってますよ」
「あいつに限ってそれはないでしょう」
彼は笑って否定する。
「そんなことありません。ロイドさんがいる時といない時では、アーニャさん表情が全然違いますもの」
「そうですか……?」
「ええ」
私は自信を持って言った。
妻としても、母としても半人前以下だけれど、人を見る目はあるつもりだ。いい人と悪い人の区別は昔からなんとなくつく。
店長には「野生のカンですね」と苦笑されたけれど、それが仕事に生きるなら自慢すべき私の特技だ。
「そうですね。今はどうしてもやらければいけないことがあって……どうしても……」
彼はどこか遠くを見つめながら言った。
何か深い決意をするような口調で。
誰にも、踏み込めない世界を見ながら。
私のじっと見つめる視線に気が付いたのだろう、彼は「学費のこともあるし、今は稼がなきゃ」と明るく笑った。
「ゆっくりするのは老後まで取っておきますよ」
「必ずですよ」
「ええ」
「その時まで忘れないでくださいね」
「ええ」
「私も、その時にはのんびりできるといいのですけれど」
「……」
一緒に。
その言葉はどうしても言えなかった。
「アーニャさーん! そろそろお昼にしましょー!」
なんとなく気恥ずかしくて、彼の顔を見ずに立ち上がって遠くのアーニャさんに声をかける。
でも、なんだかとても嬉しくて楽しくて、とても満ち足りた気分だ。
私は彼の妻で、アーニャさんの母だ。
言えないことも沢山あるけれど、来るべき未来に向けてより一層仕事にまい進しよう。
そう、心に決めた。
――愚かな私は、彼が痛いくらいこぶしを握り締めていることに気が付かなかった。
end,
[お題]
ロイヨルさんには「ある晴れた日のことだった」で始まって、「その時まで忘れないでね」で終わる物語を書いて欲しいです。曖昧な話だと嬉しいです。
[引用元]https://shindanmaker.com/828102







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