2023-11-28

Informer(インフォーマー) - I love you, good-bye. 02 –

「ほいよ、お望みのケーキ屋の住所」
 翌日の午後早く。いつものタバコ屋の地下の部屋で紙片を受け取った。
 だが、渡された情報に素早く目を通して眉をしかめる。書かれていた住所は、首都の中でもあまり治安の良くないエリアだったからだ。
「オレは首都で一番美味い店を指定したはずだが?」
 昨日判明したヨルさんの誕生日。せっかくの誕生日なのだし、少し凝ったものにしようと情報屋に声をかけた。だが、ここでは想像とは真逆のエリアだ。
「だからそこだって」
 男は面倒くさそうに答える。
 いつもの地下室。テレビやラジオの本体やコードなどが雑多に置かれている粗末な部屋だ。木製のテーブルの上には何かの基盤やはんだごて、ドライバーなどが散乱していた。
 男は修理でもしているのか、その基盤と向き合っていて紙片を渡したきりこちらを見もしない。もう何年もの付き合いだが、基本的に彼は自分の扱う商品に関しては無関心だ。取引が成立したら最後、自分が渡した情報を蒸し返すことは無かった。
 おそらくは、こちらに渡す以上に調べ上げてはいるはずだ。追加の情報を頼んだ際などはよくその場ですらすらと教えてくれる。
 そのくせ、時間が経過したりこれ以上追加情報がないものに関しては存在ごと忘れていたりする。おそらく調べ上げて満足したらその情報自体に価値を見出だせなくなるのだろう。そこが信用できるところでもあるし、同じくらい警戒しているところでもあった。
 今もこちらの存在ごと忘れ去られている気配があった。彼にとっては地元のグルメ情報などいちいち気を引くものではないのだろう。だがこちらにとってはそうではない。他国の、しかもあまり好んでは行かない下町の商業エリアだ。予想していた立地でない分どんな情報でも欲しい。少し咎めるような声が出た。
「ずいぶん下町じゃないか」
「味と場所が一致してると思ってんなら、ミシュランでもゴ・エ・ミヨでも見て勝手に行きな」
 眼鏡を頭の上にのせて基盤を蛍光灯の光にかざしながら、けんもほろろに返される。基盤の接合がうまくいかないのか、取り付く島もない。
「この店は老舗なのか?」
 いささか諦め口調にはなったが、それでもこれだけは聞いておきたい。
「あー? あー……、いや? 戦後ちょっとしてから始めたはずだから、まだ十年いくかいかないかだな」
 追加の質問に、男は視線を基盤の向こう側の天井に向けながら記憶を辿るように答えた。やはりこの店に対してそれなりに詳しいらしい。だが、その答えはますます予想を裏切っていた。
「どこかの有名店で修行したパティシエの店とか?」
「いんや? 若いときに田舎から出てきたっていう恰幅のいいおばちゃんがひとりで切り盛りしてる」
「じゃあ、厳選した素材を使用しているとか?」
「仕入先は聞いたことねーけど、普通の業務用じゃねえかなあ」
「フランキー……」
 二本指で眉間を押さえながら情報屋の名を呼ぶ。
「言っただろう、ヨルさんの誕生日用だって。初めての家族のイベントでヘタを打つわけにはいかないんだ。家庭内の危機が国を脅かすことになるかもしれないんだぞ」
 だからわざわざ病院の院長にまでかけあって「子持ちのやもめ男に嫁いで来てくれた優しく健気な妻の誕生日」の話を強調して午後から休みをもぎ取ったのだ。少しばかり値が張るのは想定内だし、女性が喜びそうな物にも心当たりがない訳じゃない。だからもう少し上品なエリアで分かりやすく喜ばれそうな物を手に入れたかったし、そう伝えたはずだ。
「何が問題なんだよ」
「誕生日のホールケーキを探してるんだぞ? 出来れば一流レストランで出していても遜色ない物が欲しいんだ」
 近所によく利用するケーキスタンドはあるが、もう少し繊細な物が欲しかった。出来ればザッハトルテや、シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテのようなシックな印象のケーキが良い。
 アーニャに約束した手前チョコレート系とは決めてはいるが、ヨルさんが黒と赤の色合いを好むので出来ればそのイメージに添ったケーキにしたかった。
 女性は、自分が好んで使う色合いの物を与えると相手に好感を持つ生き物だ。おそらく自分をよく見てくれているという印象をも与えるのだろう。経験則からの知恵だ。そういったものを思い描いていたのだが……。
 だが、情報屋はこちらの意図など解す様子もない。
「ばーか。本当に美味い店が上流階級のエリアなんかにあるもんか」
 おまえスパイのくせにマニュアルに頼り過ぎ、と馬鹿にしたように笑った。
「いいからそこ行きなって。絶対ヨルさんが喜びそうなケーキ売ってっから」
「何でおまえがそんな事分かるんだ」
「行きゃわかる」
「先に言え」
 少しばかりムッとして聞き返す。
 不愉快だった。
 何かが。
 情報のやりとりに愉快もへったくれも無いが、どうしてだか、目の前の男の言い方がカンに触る。
「――何故、おまえが彼女の好みに対して絶対なんて言葉を使うんだ」
「はあ?」
 彼にも伝わったのだろう、訝しげにこちらに首だけで降り返る。だが、その特徴的な赤い眼鏡の奥と視線が合った途端、彼はひどく驚いた顔をして身体ごとこちらに向き直る。
 そして頬杖をつきながらきっちり三秒間人の顔をまじまじとみてから、「…………へー」と言った。
「なんだ?」
「あー……、んにゃ。――え、まじで⁉」
「だから何が⁉」
 ますますイラついて返事もぞんざいになる。いつものことだが、要点を後出しするような言い方が気に入らない。
 こいつらはこうやって何かにつけて有益な情報を持っているフリして価格を吊り上げる。
 だが、彼らが集めるのはしょせんただのデータ、事象の羅列に過ぎない。その情報の価値を決め、どう使い、誰をどう踊らせるかはこちらの領分だ。
 彼女の好みなら一緒に暮らしている自分のほうが詳しいはずだ。たかが数回、自分を通して知り合っただけの男に「絶対」なんて単語を使われるいわれはない。
「根拠を言え」
「えぇ〜? そんなのヨルさん見てりゃわかるじゃん」
「理由になってない」
「いやいやいやいや……」
 困惑と半笑いが混ざったような器用な表情で、縮れ毛の男は顔の前でブンブンと利き手を降った。
 そして冷めきっているであろうコーヒーを手に取りながら、「ははん」と鼻を鳴らしてこちらに視線だけ送る。
 その人を食ったような態度にも腹が立つ。おまえの特徴的な縮れ毛に火を付けてもっと縮れさせてやろうかと、狂暴な思考が一瞬支配した。だが、男はこちらのそんなことお構いなしだ。
「――そこの店、昔は小さいカフェだったのよ。おまえの国風にいや『コンディトライ』ってやつかな? 夫婦ふたりでやっててさ。ふたりで若いときに田舎から出て来て苦労して働いて、やっとこっちで店構えたって言ってた。南部によくあるペイストリーとか軽食とか中心に出してて、安くて美味くて、昼に売ってるグラーシュがもう最高でさ」
 彼はいきなりそう語りだした。
 だが、それはどちらかというと説明というよりは思い出を渡す作業に似ていた。
「ケーキもあってさ。おかみさんがひとりで作ってんの。定番のクーヘンの他にトルテもいくつかあってさ。ひとりで作ってっから一日に作れる量も種類も限りはあるんだけど、それがまたすげー美味くて」
 男は懐かしいものを思い出すように目を細めながら語り続ける。視線は少し落として、コーヒーカップの底をずっと見つめている。
 まるで、その底から在りし日の記憶を取り出しているようだった。
「知ってるか? 南部地方って、地形が入り組んでるから場所によっては寒暖差がすごくてさ、それを活かしてけっこうな種類の果物作ってんだ。この国のケーキってどれもちょっとずっしりってか、色も単調で生地も重いのが多いじゃん? でも南部のケーキだけは果物使ってっからとにかく色が豊富で、子連れの家族とかにも人気だったわけよ」
「……」
「で、戦争中に旦那のほうが死んだかなんかで、結局店も潰れたんだけどさ。戦後しばらくしてから、おかみさんが同じ場所でケーキだけ売り始めた。そういう店」
「で⁉」
 大して中身の無い話にまたイライラが募る。
 おまえの思い出話や、この国の特産品の話が聞きたいわけじゃない。戦争で死んだ配偶者の意思を汲んだ店なんぞ、そこら中に転がっている話だ。それは購入に値する情報なのかと怒鳴りつけたくなった。
 だが、彼は落ちこぼれの生徒を見るような目をこちらに向けた。
「ここまで言ってわからん?」
「だ、か、ら! 要点を言え!」
「いま言ったじゃん」
「言ってない! こちらが理解できない情報なんて意味がない!」
 たまらず声を張り上げた。少し冷静さを欠いていると頭の隅で制止する声がするが、止まらなかった。
「『推察』って言葉知ってっか黄昏さん? ってわー! ばかばか! 冗談だっての!」
 利き手をさっと懐に入れるしぐさをすると、慌てた縮れ毛が椅子を倒さんばかりにして飛びのく。
「……冗談だ。『医者』が銃を携帯してるわけがないだろう」
 ふん! と空の手を懐から出して馬鹿にした。
 本当は携帯していたら、抜いていたが。
「あーもうびっくりした。やめろよほんとマジで」
「それはこっちのセリフだ。情報はもうちょっと、具体的かつ、簡潔に出せ。こっちは金払ってるんだぞ」
「いや、だいっぶ前からもらってねえけど⁉」
「WISEに請求書送っておけ」
「どこの世界に売掛けOKな情報屋がいるってんだ! キャッシュだ、キャッシュ!」
「とにかく! 情報はちゃんと伝えてくれ。何故ここがバーリント一なんだ?」
「だーかーらー! その店は南部のトルテが有名なの! ヨルさん南部地方出身じゃん! 故郷の味じゃん!」
 はっとした。
 そのことに全く思い至らなかった自分に。
「……なんでおまえがヨルさんの故郷のこと知っているんだ」
「そこ⁉」
 おおかた婚姻届けの偽造を依頼した際についでとばかりに調べたのだろう。やはりこいつは信用できない。
「不必要な案件まで踏み込むな。そこまで頼んでないだろう」
「どの口が言いやがりますかこのヤロー!」
 キーキーと文句を言う縮れ毛を無視して少し考える。
 正直すんなりとその店に行くのは面白くはないが、こちらもあまり時間がない。
 確かに誕生日には彼女の慣れ親しんだ物のほうがいいだろうし、そうすることで彼女もよりこちらに心を許すだろう。弟の動向を聞き出す際にも使えるかもしれない。
 仕方なしに妥協することにした。
「……わかった。とりあえずここへ行く」
 住所が書かれた紙片を胸ポケットにしまいながら、テーブルに置いていた帽子を手に取った。
「そうそう、さっさとケーキと女が喜びそうなプレゼントでも買って帰ってやんな。おまえそっち系は強いだろ?」
 情報屋はあからさまにほっとした顔をして言った。
「プレゼントの目星はついてる」
 今日は間に合わなかったが、近いうちに用意して渡すつもりだ。
「さすが! 何買った? 薔薇か? 指輪か? それとも車か⁉」
 後学のために教えてくれと、さっきとは打って変わった態度で身を乗り出す。
 こちらが舌を巻くほどの情報網を駆使する男だが、こと女性関係になると途端にポンコツになる。
 相変わらず馬鹿の一つ覚えのような商品を羅列したので苦笑した。
 確かに、一度は大輪の薔薇や貴金属も脳裏に浮かんだ。恋人を装って近づく対象者は、たいてい地位のある男の妻か娘か情婦のどれかだ。そういった女性は多かれ少なかれ自己掲示欲が強い。それは自分の所有物にも如実に表れる。名の通ったブランド物や、希少価値のある貴金属などを渡せば、たいていは機嫌よく情報を渡してくれた。
 だが彼女はターゲットじゃないし、そもそもそんな物を喜ぶとも思えない。見当違いな予想をする男を尻目にいく分気分が良くなった。
「どれも違うな」
「じゃあなんだよ?」
「そんなの彼女を見ていればわかるだろ」
 わざと意地悪く口角を上げて先ほど言われた言葉をそのまま返した。
「……どんだけ負けず嫌いよ……」
 男はテーブルに足を投げ出しながら呆れた口調で上を見た。そのまま両手を頭の後ろで組んで「いいなー、オレも婚活しようかなー」とぼやき出した。
「オレは任務上、仕方なくしただけだ」
「いいじゃん。それだって立派な家庭には変わりはねーじゃん。いいなぁー、家に帰ったら暖かい部屋と美味しい料理。可愛い……かはあれとして、ひとり娘と美人でスタイル抜群の妻。極めつけにでかい犬まで揃ってるってか? なんじゃそら、字面だけ見りゃおまえの家って『男の夢』そのものだよな」
「うるさいな。その分二十四時間気が抜けないんだ。あと料理しているのは主にオレだ」
「細けぇこたぁいいんだよ。そういう居場所があるってことが大事なんじゃねえの? それが仮初めだろうがハリボテだろうが関係ねーんだよんなこたぁ。つか、ステレオタイプでいっそ清々しいじゃん。捻りはねーけど」
「おまえ馬鹿にしてるだろう⁉」
 オレがこの任務の根幹の維持継続にどれだけ腐心してると思っているんだ。
「こっちだって色々いろいろ、努力と理解と気遣いと譲歩をしているんだ」
 そうまでしてもこの薄氷の上を歩く感覚が消えた試しがない。自分からそんな身の上になりたいと思う人間の気がしれない。
「そんなの当たり前じゃん? 赤の他人同士の母娘残して先に死ぬ人間がそこ手ぇ抜いてんじゃねーよ」
「…………は?」
 言っている意味が分からず、思わず聞き返す。
 男のほうも聞き返されると思ってなかったのか、頭の後ろに回していた手を放してポカンと口を開ける。
「え? 違うの? だっておまえ、今回の任務が終わったらもちろん西国に帰るんだろ?」
「……そうだが……」
「そしたら『ロイド』は死んで、妻子の前から消えるのが一番手っ取り早くない?」
「…………」
「え、なに? 考えてなかったのかよ?」
「……そんなことは……ない。それは……、オレだけでは判断できないし、することじゃないってだけだ」
 嘘じゃなかった。
 今の任務の特性上、どうしても長期スパンにならなざるを得ず、期間などは現状特に決まっていない。
 何をもってして任務完了になるかなども未定のままだ。
 だが、当然その先のことも考えては、いる。
 アーニャやヨルさんといるたびに、彼女たちとの間でくだらないことで笑い声を交わし合うたびに笑顔の裏でいつも戒めてきた。
 いつかは彼女たちと離れること。
 ずっとそばにはいられないこと。
 いるつもりもないことを――ずっと……。
 そのはずなのに、他人の言葉ひとつが自分の中でこんなにも――。
 自分がこれまで頭の中で何度も何度も反芻して、言い聞かせてきたことなのに。
 まるで「そのこと」に初めて思い至ったかのような。
 その事実を初めて目の前に突き付けられたような。
 そんなこと……。
 何故か、喉がひどく渇いた。
「……ふーん」
「なんだ?」
「いや、別に? これ以上はオレが踏み込むことじゃないね」
 こちらが先ほど言った言葉で拒絶された。
 もう答える気はないようだ。こうなってしまっては、この男に何を言っても無駄だった。
 それは長年の付き合いで分かっていた。
 思わず、そうと分からぬように舌打ちする。
「――まあ、どう転んでもいいように今のうちに楽しい思い出でも作っておきな」
 オレならもっとうまくやるけどね、と男はさらに馬鹿にしたように言って、テーブルにあったはんだごてを持って基盤をまた触りだす。
 作業を再開するようだ。
「そろそろ帰れ」と言外に言われているのが分かった。
「――オレならどう上手くやるって?」
 追い払われているのはわかっていたが、どうしても聞き捨てならずにそう問いかける。
 男は基盤の両端を人差し指で器用にくるくる回して裏表を確かめるようにしながら、こちらに視線だけを向ける。
「だってオレおまえよかいい夫になれる自信はあるもん。昔から『結婚に向いてそう~』とか、『旦那だったら理想かも~』とか言われてたしさあ」
「……ああ、そう」
 どうしてだが、少しだけ安堵の吐息が出た。それは言い寄る男を体よく遠ざける女の常套句だ。だが、いまそれを指摘してやるほど親切でもお節介でもない。
「そうか、せいぜい頑張れ」
 それだけ言うと、今度こそ立ち上がって帽子を被る。独身男の妄想にこれ以上付き合えるか。
「おまえもな。せいぜい任務終了まで『ロイド・フォージャー』の仮面が外れないよう頑張んな。おまえ、今のまんまじゃ二年がギリだわ」
「――どういう意味だ」
「そういう意味だよ」
 ケケケと嫌な笑い方で、しっしっと犬を払うようにこちらに手を振る。
 これ以上情報を開示するつもりはなさそうだ。
 釈然としないが、仕方がない。
 だがこのままで済ます《黄昏》でもない。
「フランキー」
「あ?」
「女と付き合ったこともない奴が『家庭』を語るな」
 バン!!
勢いよく扉を閉める音と、何かが扉に強く当たる音が同時にタバコ屋の地下に響いた。

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